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【70年代のF1マシン】マトラエンジンを積んだフランスチーム (1/3ページ)

【70年代のF1マシン】マトラエンジンを積んだフランスチーム

F1参戦プロジェクトを国を挙げてサポート

 そもそも、1950年にF1GPが始まった当時、フランスからはタルボとシムカ-ゴルディーニ(53年からゴルディーニ)などが参戦していたし、それ以前にもさまざまなモータースポーツでフランス勢が活躍していた。それが50年代中盤には姿を消してしまい、F1GPはイギリス勢とイタリア勢に支配されるようになった。

さらにドイツからポルシェ、日本からホンダが参戦するようになると、モータースポーツ先進国であることを自負していたフランスでも、当時のシャルル・ド・ゴール政権自らが「サーキットにおけるフレンチブルーの復権」を目指してF1GPに参戦するチームのサポートを決断。アルピーヌとともに候補に上り、最終的にその支援を取り付けたのがマトラだった。

65年にF3でレース活動を開始したマトラは、F2を経て68年にF1デビューを果たしている。ただしワークスのマトラ・スポールと、セミワークスのマトラ・インターナショナル、2チームがマトラを名乗っていて、同じマトラ製のシャーシを使用していながらも、マトラ・スポールが自製のV12を搭載していたのに対してマトラ・インターナショナルはフォード・コスワースDFVを採用。

 成績的にはマトラ・インターナショナルが3勝を挙げてコンストラクター3位、ドライバーのジャッキー・スチュワートがシリーズ2位につけたのに対して、マトラ・スポールはジャン-ピエール・ベルトワーズの3位入賞がベストと、好対照だった。

 そして翌69年シーズンは、ワークスが活動を休止し、DFVを使用するマトラ・インターナショナルのみが参戦し、初のワールドチャンピオンを獲得。70年からはティレル・レーシング・オーガニゼーションの名でマトラから独立しコンストラクターとして華々しい活躍を続けたことは、この企画でもティレルの項で紹介したとおりだ。今回は1シーズンを戦ったあと、1シーズンは参戦を休止し、翌70年に再度デビューしたワークスを紹介しよう。

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