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メーカー選手権のヒーローたち【フェラーリ・世界スポーツカー選手権編その1】 (2/2ページ)

メーカー選手権のヒーローたち【フェラーリ・世界スポーツカー選手権編その1】

F1GPが始まる前はスポーツカーで活躍していたフェラーリ

 フェラーリと言えば近代のグランプリ=F1GPが制定された1950年から一貫して参戦を続け、通算での参戦数、勝利数、コンストラクターズタイトル獲得回数でもライバルを圧倒する名門中の名門。

 そして、そもそもスクーデリア・フェラーリは創設者であるエンツォ・フェラーリがアルファ・ロメオのワークスチームを運営していた経歴を持っていて、51年のイギリスGPで初めてアルファ・ロメオを破った時にエンツォ・フェラーリが「私は母親を殺してしまった」と言ったのも、彼らがF1GPの主人公であることを印象付けるエピソードになっている。

 しかし、F1GPが制定される以前にはむしろスポーツカーレースにおける活躍が顕著だった。事実、今でもスポーツカーの世界一決定戦と位置付けられるル・マン24時間レースでは、戦後の初開催となった1949年の第17回大会に初出場すると、ドライエやドラージュといった3リッターを超える大排気量車を向こうに回し、2リッターと小排気量ながらジョアッキーノ・コロンボが手掛けたV12エンジンを搭載した166MMで初優勝している。さらに1954年にル・マン24時間での2勝目を挙げると、58年にはジャガーの4連覇を阻止。そして60年からは破竹の6連覇を飾っている。

 以前、フォードGTの項で紹介したように、スポーツカーレースに進出しようとした大メーカーのフォードが、まさにこれを手に入れて自らのスポーツイメージを高めようとしたことは容易に納得できるだろう。

 さて、フェラーリがF1GPだけでなくスポーツカーレースにおいても名門であったことから話を始めた以上、メーカー選手権の時代……1962~67年の国際マニュファクチャラーズ選手権、68~71年の国際メーカー選手権、そして72~80年の世界メーカー選手権を通しての約20年間、と勝手に定義しているのだが、それ以前の活躍にも触れない訳にはいかないだろう。

 ということで、これまではメーカー選手権で活躍したレーシングカーを紹介してきたが、それ以前、1953年に始まった世界スポーツカー選手権でのフェラーリの活躍を振り返っておこう。

 フェラーリの名を持つ最初のスポーツカーが誕生したのは1947年のこと。コロンボがデザインした1.5リッターの60度V12エンジンを搭載し、その気筒あたりの排気量からTipo125と命名されていた。デビューレースでは、優勝こそ叶わなかったが、その高いポテンシャルの一端を披露することになったTipo125は、すぐに排気量を拡大。2リッターのTipo166は、先に紹介したようにル・マン24時間レースのデビューイヤーに優勝するなど大活躍している。

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