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「会社の危機」を救ったのは1台のクルマ! 自動車メーカーの運命を変えた国産車4台 (2/2ページ)

メーカーの経営危機が時代に名を残すクルマを生み出させた

 自動車メーカーは、栄枯盛衰を繰り返している。10年以上好調を持続する難しさがある。それは時代の進展によって価値観が変化するからだろう。

1)ホンダ・オデッセイ

 1990年のバブル経済期、ホンダは倒産の危機にあったといわれる。社員でさえ、当時は三菱自動車工業に合併されるかもしれないとの噂もあったと聞く。そこから一転ホンダが一躍表舞台に踊りだすきっかけとなったのは、オデッセイの誕生だ。それに続いて、クリエイティブムーバーと名付けられた、ステップワゴン、CR-V、S-MXが新しく登場した。国内にミニバンがはやり、それまでワンボックスカーを販売してきた各社からもミニバンが登場することになる。

 ホンダが経営危機に陥った要因は、RV(レクリエーショナル・ヴィークル)やワンボックスカーを持たなかったためだ。理由は、それらが商用トラックや商用バンをもとにしていたのに対し、ホンダは乗用車しか持たなかったからである。そしてアコードやシビックといった乗用車をもとにしたクリエイティブムーバーを創出した。それらの車種は、今日もホンダを象徴する商品であり続け、S-MXはなくなったが、フリードがその代替といえなくもない。

2)スバル・レガシィ

 スバルは、技術的に評判の高かったスバル1000が、トヨタ・カローラや日産サニーなどに比べ販売台数を十分に得られなかったことから、次のレオーネは従来の部品を活用する手法で生み出された。しかし、販売はやはり思わしくなかったのである。そして誕生するのが、1989年のレガシィだ。

 レガシィも、特別な技術を搭載したわけではなかったが、安心して運転できる走行性能を磨くことに注力した。その基本となったのが、車体剛性である。そして、たとえサスペンションは従来からのストラット式を用いても、車体剛性が高ければ適切なロードホールディングが得られ、走行性能が格段に高まることをレガシィは示したのである。一方車体剛性について他社は、その時代はまだそれほど意識を高めていなかった。

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