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こんな凄いクルマ作れるのになぜやめた! 日野が作った乗用車「コンテッサ」が控えめに言っても名車だった

こんな凄いクルマ作れるのになぜやめた! 日野が作った乗用車「コンテッサ」が控えめに言っても名車だった

この記事をまとめると

■日野が手がけた唯一の乗用車「コンテッサ」を振り返る

■もともと日野はルノーのノックダウン生産を行なっていた

■ルノーのノックダウン生産から得た技術でコンテッサを登場させた

名車「コンテッサ」はノックダウン生産があったからこそ生まれた

 過去に乗用車を手がけていた商用車メーカーとしてはいすゞ自動車が知られるところだが、もうひとつの商用車メーカーである日野自動車もまた、過去に乗用車を販売していた過去を持つメーカーのひとつだ。

 とはいえ、完全な乗用車は1961年に登場した「コンテッサ」のみであり(商用車派生のワンボックスカー、コンマースなどはあるが)、いまでは日野が乗用車を生産していた事実を知らない人も多いかもしれない。

 そんな日野の乗用車の始まりは、1953年にフランスのルノーと技術提携を結び、4CVのノックダウン生産をスタートしたことが最初となる。ノックダウン生産とは部品を本国(ここではフランス)から輸入し、自国(ここでは日本)で組み立てることを指し、技術の習得や組み立て製造コストの圧縮、高い輸入関税の回避など、さまざまな理由で行われるものだ。

 このルノーと日野の関係においては技術の習得が主な目的となっており、徐々に部品の国内調達率を高めていったほか、日本での使用にマッチする独自の改良なども施されていったのである。

 そして、そこで培った技術によって登場したのが、1961年に登場した初代コンテッサということになる。ただこの初代コンテッサはエクステリアこそオリジナルのものとなっていたが、サスペンション、駆動方式といった基本レイアウトは4CVのものを踏襲しており、エンジンもルノーのものをベースとしていた。

 その初代コンテッサの跡を継いで(正確には併売されていたのだが)1964年に登場したコンテッサ1300は、ジョバンニ・ミケロッティが手がけた流麗なボディデザインと、日野の自社設計エンジンとなった1251ccエンジン、そして改良されたシャシーや足まわりなどによって高い評価を集めることになる。

 とくにその美しいエクステリアは海外での評価も高く、1年後に登場したクーペモデルともども未だに多くのユーザーを魅了し続けているのだ。

 当時の日野は4CVから技術を学んだということもあって、コンテッサはすべてリヤエンジンリヤドライブレイアウトとなっていたが、それもあってグリルレスの美しいデザインが実現できたと考えると、ある意味4CVのノックダウン生産をしたからこそコンテッサが生まれたと言っても過言ではないだろう(事実、ミケロッティへのデザイン依頼は開発スケジュールとRRのレイアウトであることのみが伝えられた自由度の高いものだったとか)。

 このように当時の日本はまだまだ技術的に未熟であり、技術提携やノックダウン生産などでさまざまな技術を吸収することで成長し、気づけば自動車大国と言われるようになった現状を鑑みると、感慨深いものがあると思うのは筆者だけではないハズだ。

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