
この記事をまとめると
■数多くの仕事のなかでも長距離トラックドライバーの世界は特殊である
■かつて大型トラックのハンドルを握っていた筆者が実体験で振り返る
■過酷な労働環境かつ低収入では若手が増えないので改善を望みたい
知られざる長距離トラックドライバーの生活とは
朝早く起きて会社へ出向き、夕方に退社して自宅に戻る。そんな日常こそが人間らしい、いわゆる一般的な社会人の日常だろう。しかし、夜勤や日曜日が稼ぎどきであるものなど、世のなかには数多くの仕事が存在する。そのなかで特殊に感じるのが、長距離トラックドライバーの世界ではなかろうか。深夜に全国各地を駆ける大型トラックドライバーがどんな生活を送っているのかを、かつて大型トラックのハンドルを握っていた筆者が振り返りたいと思う。
ひとくちにトラックといっても、多くの種類が存在する。毎日自宅で眠れるような近距離を走る地場輸送から、旬の味覚を追いかけて日本列島を旅するものまで。そのため、ここに記載するのはほんの一部であるとご理解いただきたい。
筆者が大型トラックで長距離を走っていたときは、自宅に戻れるのがひと月に1度か2度程度であった。しかも、仕事は決まったコースを走るのではなく、その日によって運ぶ荷物や行き先が変わるというもの。
当時は「ミズ屋」と呼ばれる、荷物を仲介してくれる業者と直接仕事のやりとりをしていた。朝イチに荷物を降ろしはじめ、昼前には空車になる。そこから電話が鳴るまでの間に仮眠をし、指定された積み込み場所まで走る。そして、夕方には積み上がり、翌朝までに目的地まで走るという内容だ。仕事にありつけず、待機に徹することもあった。それでもいつ何時に仕事の連絡が入るかわからないため、酒を飲んだり思いっきり熟睡もできないのだ。
そんななかでも、記憶に残っている仕事の内容をお話ししよう。
朝8時に東京都内で荷降ろしを始め、午前10時に完了。敷地内からトラックを出し、適当な場所で荷下ろし完了の報告を入れる。そして、栃木県内での待機を命じられ、休憩できそうな場所に移動して仮眠をし、午後2時に電話が鳴って土浦市の積み込み場所へ移動する。受け付けを済ませて荷物ができあがるまで待機し、午後5時に積み込みが完了した。
首都高速と東名高速を使用して、神奈川県の大井松田インターで下車。そこから国道を走り、休憩なしで大阪へ。現場近くで1時間ほど仮眠をし、朝8時に受付。9時から荷降ろしを開始し、11時に完了した。そして、荷降ろし完了の報告をして、次の仕事に備えるといった内容だ。
ずっとこの繰り替しで、たまたま地元の関西で仕事を終えて荷物が見つからないときは、自宅に帰れたのである。