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カウンタックこそがスーパーカーの代名詞で異論ナシ! 日本の子どももみんな熱狂したランボルギーニ・カウンタックの歴史 (2/2ページ)

カウンタックこそがスーパーカーの代名詞で異論ナシ! 日本の子どももみんな熱狂したランボルギーニ・カウンタックの歴史

この記事をまとめると

■ランボルギーニ・カウンタックはスーパーカーブームのど真ん中にあった

■ミウラの後継モデルとして1971年のジュネーブ・ショーでプロトモデルが発表された

■1990年に販売が終了するまでさまざまなモデルが販売されてきた

スーパーカーの雄「カウンタック」の歴史

 1970年代半ばに日本を熱狂の渦に巻き込んだ、あのスーパーカー・ブームを実体験した人にとって、ランボルギーニ・カウンタックはやはり特別な存在だろう。ちなみにそれまでのミウラの後継車として誕生したカウンタックは、最終的には1990年までその生産が継続されている。今回はこのカウンタックがいかにして生まれ、そしてどのように進化を遂げていったのかを解説することにしよう。

 それまで「LP112」の社内コードで開発が進められていたカウンタックが、初めてオフィシャルな舞台に姿を現したのは1971年のジュネーブ・ショーでのことだった。カウンタックとはイタリアのピエモンテ地方などで驚きを表現するときなどに使われる言葉で、それはジュネーブ・ショーを直前に控えてもなお製作の工程にあったモデルを見て、イタリア人スタッフが発したひと言であったという。それほどまでにミウラに続いてベルトーネのマルッチェロ・ガンディーニが描いた、ウエッジシェイプ・デザインのボディースタイルは斬新で衝撃的なものだったのだ。

 1971年のジュネーブ・ショーで初披露された最初のカウンタックは「LP500」であり、これはあくまでもプロトタイプとして製作されたモデルだった。LP500という称号は、5リッターのV型12気筒エンジンをイタリア語でロンジトゥディナーレ(縦)に、そしてポステリオーレ(リヤ)に搭載していることを意味するもの。実際にLP500のミッドには440馬力の最高出力を主張する、前作のミウラとは異なり縦置きされたV型12気筒エンジンの姿があった。

 このエンジンに5速MTを直列に接続し、車体の後方からキャビンまで前後逆方向に進入させるという、独特なパワートレイン・レイアウトを考案し、そして実現したのは、かのパオロ・スタンツァーニにほかならない。

 だがカウンタックは、このLP500のまま生産が開始されることはなかった。LP500を披露してからさらに2年もの時間が経過した1973年のジュネーブ・ショーに、ランボルギーニは新たに「LP400」の名を掲げたプロトタイプを出品。それはボディーのディテールや、新たに4リッター仕様のV型12気筒エンジンを搭載するなど、LP500からさまざまな変更が施されたモデルだった。そしてこのプロトタイプをベースに、最初の生産型となる「カウンタック・LP400」は1974年に誕生したのだ。

 排気量を4リッターに縮小したことで、V型12気筒エンジンの最高出力は375馬力にまで低下してしまったが、それでもランボルギーニが主張した300km/hの最高速は衝撃的なものだった。

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