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元祖国産ミニバンといえば……じつは日産プレーリー! 「ファミリーならコレ」を決定づけた2代目プレーリーの熱いエピソード

元祖国産ミニバンといえば……じつは日産プレーリー! 「ファミリーならコレ」を決定づけた2代目プレーリーの熱いエピソード

この記事をまとめると

■日本車初のミニバンは1982年に誕生した日産のプレーリーであった

■1988年に誕生した2代目モデルは初代の欠点を改修したモデルだった

■流麗なデザインが好評となったほかマイナーチェンジ後のモデルは人気車種になった

初代の失敗を活かしたデザイン重視の5ナンバーミニバン

 いまや日本の国民車的カテゴリーに属するミニバン。1台で6〜8人乗せられる箱型のボディが特徴的なこのカテゴリーは、主に子どもをもつ家庭に重宝されており、いまから20〜30年ほど前には、国内のほぼ全メーカーからなんらかのミニバンがリリースされていたほど。文字どおりミニバンブームである。

 なお、フルサイズのバンに対して「小型(ミニ)のバン」であることから、その名が付けられたという。ただ、その語源のとおり、海外、とくに欧米では日本生まれのミニバンというカテゴリーは彼らの体格上、狭くて小さいのであまり普及していない。一方で、我々日本人と体格が近い人の多いアジア圏では、いま日本のミニバンが大人気だ。

 そんな誰もが知っている形状である国産ミニバンだが、始祖とも呼べるモデルを皆さんはご存じだろうか? それが、いまから40年以上前の1982年に誕生した日産プレーリーである。なんとこのクルマ、センターピラーが左右ともないという奇想天外な構造で、このセンターピラーレスのフルオープン構造は世界初であった。

 現在は「助手席側のみピラーレス」や「ピラー付きの両側スライドドア」が一般的だが、左右両側ともにピラーレスという構造は、いま見てもかなり珍しい。さらにはフルフラット化や回転対座もできる8人乗り3列シート仕様なんてのも存在した。

 しかし、見てのとおり、これだけ開口部が大きいだけにボディ剛性は相当低かったといわれている。何年も乗っていると、ドアの建て付けが悪くなり、半ドアになる確率も少なくなかったそうだ。

 そこで昭和末期の1988年に登場したのが2代目プレーリーだ。これは、初代モデルの反省点を活かしたモデルで、両側スライドドアは継承しながらも、センターピラーとその周辺に補強を設けたことで、ボディ剛性を飛躍的に向上させている点がポイント。なお、装備が充実したJ系と、廉価モデルのM系をラインアップ。5ナンバーサイズでありながら、J系では6人、7人、8人乗りモデル、M系では5人乗りと7人乗りを設定。

 予算やライフスタイルに合わせてさまざまな仕様を選べたわけだが、5ナンバーサイズで8人まで乗れるパッケージングはかなり異質(フロント3名・2列目3名・3列目2名の構成)。当然スペース的にはギチギチで、罰ゲームレベルなのはいうまでもない……。

 そしてこの2代目プレーリーは、日産が絶好調だった時代に生まれたクルマということもあり、J系では当時の日産を代表する技術であった機械式フルタイム4WDシステム「ATTESA(アテーサ)」を搭載するモデルもあったほど。「ATTESA」といえばR32GT-Rなどで有名だが、こちらは「ATTESA E-TS」というもので、これはコンピュータ制御でトルク配分等を制御するモノなので、名前は似ているが別物だ。そのほかにも、4速ATモデルのほか、5速MTモデルも設定されていた。

 また、デザインも初代の直線的な箱型っぽい雰囲気から一転して、横から見ると流麗で美しいワンモーションスタイルを採り入れた点も、この2代目プレーリーの特徴だ。いま見てもシルエットはまったく古く感じない。なお、Aピラーはなんと当時販売されていた、フェアレディZ(Z31)とまったく同じ27.5度という角度であった。ミニバンでありながら、スポーツカーのDNAがさりげなく注ぎ込まれていたのだ。

 このプレーリーは、1993年にクエストが販売されるまで北米でも展開されていたほか、1995年のビッグマイナーチェンジでプレーリージョイに名称を変更し、ボディ形状を大幅に変更するなど大改良。純正エアロ装着車のエアロエクスプレスといったカスタム車両も設定し、エンジンもシルビアでお馴染みの2リッター直4エンジン、SR20DEを搭載するモデルも現れた。一方で、8人乗りモデルのフロント3人掛けベンチシート仕様は廃止されてしまった。

 なお、このスタイリング変更が功を奏したのか、こちらの方がファミリー層にはウケたようで、売り上げはこれ以降かなり伸びたという。そして2代目誕生から10年後となる1998年10月に本モデルは生産を終了。3代目にバトンタッチとなった。

 2代目プレーリーは、日産がチャレンジ精神旺盛だったころに生まれた、まさに日産の黄金期を支えた1台だったのだ。

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