この記事をまとめると
■F1のイメージが強いフランスの自動車メーカー「ベンチュリー」
■現在でも存在しており自動車以外のモビリティ事業を手がけていた
■モータースポーツではフォーミュラEに初年度から参戦して最先端の企業に成長していた
スポーツカーメーカーとして自動車業界に参入したベンチュリー
ベンチュリーという名を聞くと、思い出すものは人それぞれでしょう。片山右京選手が乗ったF1やMVSベンチュリーなんてミッドシップスポーツカー、あるいはベンチュリー管など多岐にわたるかと思いますが、いずれも正解。また、情報に明るい方ならシトロエン・ベルランゴのEVや南極探検向け極地探査EVも「ベンチュリーでしょ!」と膝を打つのかもしれません。
今回は、そんなベンチュリーの今昔についてご紹介しましょう。
そもそもMVSベンチュリーは、1985年にフランスで生まれたスポーツカーメーカー。クロード・ポワローとジェラール・ゴッドフロアという自動車パーツメーカーのエンジニアだったふたりによって興されました。ちなみに、このふたりが在籍していたユーリエは、スポーツカー選手権などで走ったプジョーのスポンサーを務めていましたね。
「ポルシェやフェラーリに対抗できるフランス車を!」と熱い想いで作った最初のモデルこそMVSベンチュリーで、1987年には日本にも輸入されたのでご存じの方も少なくないでしょう。PRV製(プジョー/ルノー/ボルボ共同制作)2.5リッターV6エンジン(210馬力)をミッドに縦置き、鋼板バスタブシャシーに前後ダブルウイッシュボーンサス、そしてFRP成型ボディという小規模生産スポーツカーのデフォルトかのような成り立ちです。
ただし、設計思想というか、スポーツカーとして仕上げる際には、かのジャン・ロンドーが加わったことで侮りがたい走行性能を発揮していたのです。
なお、ロンドーは1980年に自らの名を冠したスポーツカーで史上唯ひとりのル・マン24時間レース優勝者という強者です。
ベンチュリーはその後もアップデートを繰り返し、ベンチュリー260になると排気量を2.8リッターに拡大(260馬力)、また1994年にはフルモデルチェンジといえるほど変貌したアトランティーク300へと昇華していきました。
最終的にはPSAグループ製のDOHCツインターボ(310馬力)に変更され、アトランティーク300ビターボを名乗ったものの、このときは横置きへの変更を余儀なくされていました。
残念ながらMVSベンチュリーは売り上げ不振で、このモデルを最後に経営陣が刷新されてしまいました。が、1992年にはF1チームのラルースを買収し、右京選手でもってエントリーするというステージチェンジを果たしています。さしたる成績ではなかったかもしれませんが、我々日本人が声をからして応援していたこと、昨日のことのように思い出せるのではないでしょうか。