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みんな大好きサソリ印のアバルトはここから始まった! クルマ好きなら語れてほしい「750GTザガート」とは (1/2ページ)

みんな大好きサソリ印のアバルトはここから始まった! クルマ好きなら語れてほしい「750GTザガート」とは

この記事をまとめると

■750GTザガートはアバルト初の本格スポーツモデルとして1955年に登場

■美しいダブルバブルルーフはザガートの象徴的な意匠として継承された

■高性能とスタイルが融合してアバルトのレーシングスピリットを体現した

アバルト最初のレジェンドモデル

 歴史に残るようなスポーツカーメーカーには、必ず嚆矢(こうし:物事の始まり)となるモデルがあるものです。ロータスにはエラン、ポルシェには356、あるいはフェラーリにしても166や250がそれに当たることでしょう。メイクスの方向性やパフォーマンス、はたまたキャラクターを形作る最初のクルマ、とでもいえるでしょうか。

 そんな目で見ると、アバルト750GTザガートは、同社にとって最初のレジェンドモデル、嚆矢と呼ぶにふさわしいものに違いありません。

 1949年にアバルトが会社として創立されるまで、カルロ・アバルトはバイクレーサーやチシタリア(イタリアのスポーツカー&F1コンストラクター)のエンジニアとして暮らしていました。が、チシタリアの創立者がアルゼンチンへ移住することになりクルマ作りの資産を譲られたことから、カルロは自身のメイクス立ち上げを決意。

 当初はフィアットのチューンアップキットの発売、それを装着したコンプリートカーがビジネスの中心でした。

 が、もともと当時のF1マシン(チシタリアD46や47)に深く携わっていただけに、完成度がハンパなかったわけです。このあたり、イタリアの熱血というよりオーストリア人、カルロ・アバルトの緻密さを印象づけるポイントでしょう。

 そして、1955年になるとアバルトはトリノモーターショーで新たなコンプリートカー、750GTザガートを発表。これは、同年フィアットから発売された600のシャシーを用いてザガートが2ドアクーペボディを架装したもの。当然、チューンアップキットも導入されており、排気量を747ccに拡大し、ウェーバーの大径キャブ、自社製マフラー、バルブや強化ヘッドボルトといったパーツによって、ノーマル車の21.5馬力からほぼ2倍の41.5馬力を絞り出しています。

 ただし、発売は翌1956年であり、それまでは600のチューンアップキット、そしてキットを組んだ600のコンプリートカー、フィアット・アバルト750 デリヴァツィオーネの販売に終始しています。750GTザガートで用いた600のシャシーはバランスがよく、また足まわりのポテンシャルも高かったため、純粋なスポーツカーに勝るとも劣らない走りを見せたといいます。

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