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豪華客船上での偶然の出会いが生んだ「英×米×伊」のコラボ! もはや映画化必至の奇跡のクルマ「ナッシュ・ヒーレー」とは (2/2ページ)

豪華客船上での偶然の出会いが生んだ「英×米×伊」のコラボ! もはや映画化必至の奇跡のクルマ「ナッシュ・ヒーレー」とは

この記事をまとめると

■船上での偶然の出会いから英米協業スポーツカー「ナッシュ・ヒーレー」が誕生

■ル・マンで実績を残しアメリカンスポーツの先駆けとなる

■高コストが災いし506台のみで生産終了した幻の名車となった

アメリカンスポーツカーの偉大な先駆者

 1949年、クイーン・エリザベス号の船上で、あるアメリカ人とイギリス人が偶然の出会いをしていなかったら、コルベットやサンダーバードは生まれていなかったかもしれません。ふたりのコラボレーションが生み出したクルマは、それほどのちの自動車業界に激震をあたえるものだったのです。ナッシュ・ヒーレーと呼ばれ、アメリカ、イギリス、さらにはイタリアン・カロッツェリアが一丸となって作り上げた珠玉のような存在となりました。わずか500余台の幻のようなクルマに迫ってみましょう。

 戦後のアメリカは好景気に恵まれ、スマートな2ドアモデルへの注目が高まっていました。それまでも2ドアはあったものの、セダンを無理やりダウンサイジングしたようなものばかりで、到底スポーツモデルとは呼び難いものだったのです。ここに目を付けたのが、ナッシュ・モーターズの代表だったジョージ・W・メイソンでした。

 もとは冷蔵庫メーカーのケルビネーター社の代表だったメイソンは、先見の明に長けていたようで、アメリカ製品への付加価値として「イギリスの技術」が効果的だと考えていたとのこと。いっぽうのドナルド・ミッチェル・ヒーレーは、ご承知のとおり英国スポーツカーメーカー「ヒーレー」の創設者にしてレーサー兼エンジニアという人物。長くトライアンフに在籍していたものの、1945年に独立し自らの名を冠したブランドを立ち上げたのでした。

 このふたりが前述のとおり船上で偶然の出会いを果たすと、意気投合したのかコラボレーションはとんとん拍子に進み、1951年にはナッシュ・ヒーレーが誕生しました。

 エンジンはナッシュ・アンバサダーに搭載されていた3.8リッターの直6OHVユニットでしたが、圧縮比7.3:1を8.0:1に高めたほか、SUツインキャブレターを装着し125馬力/4000rpmへとチューンアップ。当時からアメ車といえばV8エンジンがお約束のように思われていますが、じつはトルクに溢れ、またレスポンスのよさでナッシュの6気筒エンジンは優れていたといいます。実際、1951-52年のルマン24時間レースにも同系統のエンジンで参戦しており、1952年はクラス優勝、総合3位を獲得しているほど。

 そして、ヒーレーは定評あるFRシャシーを提供。フロントは自社で特許を取得したトレーリング・リンク・コイルスプリングサスペンション、リヤはコイルスプリングのリジッドという構成で、アメ車にはない凝った設計が特長でした。

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