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名はビッグでも販売台数は……ジリ貧でも日産がスカイラインの名にこだわり続けるワケ (2/2ページ)

名はビッグでも販売台数は……ジリ貧でも日産がスカイラインの名にこだわり続けるワケ

じつは4代目をピークに販売台数は右肩下がりに……

 初代の登場は1957年、現在13代目となる長寿モデルが「スカイライン」だ。かつては日産を代表するスポーツセダンとして大きな存在感を示し、また販売実績でも最盛期には月販1.3万台を超えるなど日産の主力モデルだった。しかし、現在はその影は見るべくもなく月販三桁の前半となってしまっている。それでも日産がスカイラインの名前を守るのには、合理的な理由はあるのだろうか。

 スカイラインは、その車両型式の最初にくるアルファベットから大きく4世代にわけることができる。もともとプリンス自動車(富士精密工業)の主力モデルだった初代と2代目が「S」系、日産とプリンスが合併したのちに生まれた最初のモデルとなる3代目「ハコスカ」から「ジャパン」の愛称で親しまれた5代目までが「C」系。スポーツセダン&クーペとして現在に至る、スカイラインのイメージを色濃くしたのが6代目から10代目までの「R」系。そしてグローバルモデルの日本版として現在の「V」系に至っている。

 もっとも売れていたのは「C」系の時代だが、スカイラインGT-Rの復活などでスポーツイメージを強くしたのは「R」系の頃だろう。鉄仮面と呼ばれた4気筒ターボが印象的な6代目「R30」、セブンスと呼ばれ「GTS-R」も登場した7代目「R31」に続き、GT-Rとともに「R32」、「R33」、「R34」の各モデルがスカイラインらしさを強めていった。そして、ここまでのスカイラインは国内専用モデルだった。日本市場の価値観やマインドに100%合わせたスポーツセダン&クーペとして開発されてきた。

 とはいえ販売実績でいえば着々と数字を落としていたのも事実。ハイソカーに寄った「R31」から「R32」にフルモデルチェンジした際に、「走りのスカイラインが帰ってきた!」と快哉の声をあげたファンも多かったが、「R32」は「R31」の販売実績を超えることはできなかった。じつは「ケンメリ」の愛称で呼ばれた4代目スカイライン(C110)をピークに、その販売実績は右肩下がりだったのだ。

 かつてのビッグネームといえども、そうした状況下では“国内専用モデル”として開発リソースを割くことはできない。そして21世紀の到来とともに新しくなった「V」系のスカイラインは、グローバルモデルの国内仕様として生まれ変わることになった。つまりセダンを中心としてクーペも展開するという点において共通性はあったが、クルマのキャラクターとしては、ずいぶんと変わってしまった。それまでスカイラインのシンボルであり、アイデンティティともいえる直列6気筒エンジンは、V型6気筒エンジンとなった。当初は丸4灯のテールランプも与えられなかった。

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