誰もが憧れたホイールからライトまで! 70から80年代に一世を風靡した自動車パーツ

BBSのメッシュホイールやコニのショックなどクルマ好きの定番

 何事にも流行り廃りがあるように、クルマの各種パーツにも一世を風靡した名品があった。たとえば、60~70年代チューニング界で三種の神器と言われた「ソレ・タコ・デュアル」。ソレックス製の大口径キャブレターとタコ足(エキゾーストマニホールド)、デュアル(2本出し)マフラーの3点セットは、ワークスカーからチューニングカーまで、エンジンのパワーアップのための定番メニューとして知られていた。アフターパーツ

 タイヤでいえば、なんといってもピレリのP7。ポルシェと共同開発したP7は、1970年代、超扁平、超高性能タイヤの頂点として君臨し続けた憧れのタイヤだった。当時、最高速250km/hオーバーの高速耐久性をクリアしているタイヤは、ピレリP7ぐらいしかなく、ポルシェ930ターボをはじめ、カウンタック、その他のスーパーカーも、こぞってP7を装着。国産車は70タイヤが最高峰の時代に、ポルシェのP7は50タイヤでカッコよかった。

 他の追随を許さない高性能タイヤだったが、その分価格もダントツで、当時でも、1本7万円ぐらいだったはず。トレッド面だけ張り替えた、P7もどきの安価な再生タイヤが出回って話題になったことも……。

 また、「もどき」といえば、忘れてはならないのが、「885」。1980年代に大ヒットしたBBSの名作、RSメッシュの模造品で、「BBS」ならぬ「885」というロゴが入ったホイールが出まわった時期があった。「真似されてこそホンモノ」という言葉もあるが、工業製品のパクリは犯罪であり、なによりキケンなので、看過できない。

 だた、それだけBBSホイールに憧れた人が多かったのも事実。ホイールでは、インパルの「シルエット」も一世を風靡した。シルエットフォーミュラのレースが人気絶頂だったころ、星野一義の駆るシルビアターボの足まわりを引き締めていたホイールと同じデザインの製品が市販され、大ヒット商品になった。

 その他、ヘッドライトをより明るいものにチューニングしたり、フォグランプを追加するチューニングも流行のひとつだった。シビエ、マーシャル、ボッシュ、ヘラ等、海外ブランドのライトが人気。当時のハロゲンヘッドライトは暗かったので、夜の峠を走るなら、まずライトのチューニングを……という流れがあった。「ルマン24時間 頼りになるのはコンセントレーションとシビエだけ」なんて、キャッチコピーを目にした人も多かったのでは? フォグランプは、イエローフォグランプが定番だった。

 サスペンションのチューニングでは、ビシュルタインとコニーのダンパーが二大ブランドだったのもこの時代。F1からツーリングカーレース、ラリー車まで、プラモデルを作ると、必ずと言っていいほどこのどちらかのダンパーメーカーのロゴデカールが入っていた。

 ドレスアップ系では、「TURBO」「TWINCAM」「DOHC」といったエンブレムやステッカーも! NAなのに見栄を張って「TURBO」のエンブレムを貼ったりすると、(中身の伴わない)「ステッカーチューン」などと、嘲笑された。オーディオメーカーのロゴが光る、リヤスピーカーも流行したひとつ。

 なんか懐かしいパーツばかりになってしまったが、直近での人気パーツ、人気アイテムについても、機会があったら考えてみたい。


藤田竜太 FUJITA RYUTA

モータリングライター

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