シートベルト試験結果の改ざんはナゼ起きた? 日本のモノ作りを蝕む「病巣」の正体 (2/2ページ)

電動化という言葉にも消費者を無視した企業の都合が感じられる

 日本人がいま忘れているのは、企業活動は何のために行っているのかという、素朴でありかつ根本的な理由だ。それは、消費者である人々が安心して幸福に暮らせる物やサービスを提供することにある。ところが、今回のシートベルトの試験結果改ざんをはじめとする一連の不祥事は、そうした最終目的を忘れ、自己中心的な理由をつけた保身による出来事だ。

 さらに背景には、企業責任だけでなく、監督官庁といわれる行政の怠慢も考えられる。たとえば、クルマの様々な審査基準においても、30〜40年も前に規定された内容が変更や更新されず、そのまま継続されている面があり、技術発展に適合できていない内容が多々ある。

 なぜ行政の怠慢が起こるのか、その理由を行政側も手が足りない、調査の予算がないなど、言い訳はあるはずだが、それであるなら監督任務を手放すべきであり、それ以前に、どうすれば最先端の技術を知り、審査基準を効率よく改善できるかを考えるべきではないか。

 製造現場の実態に合わない審査基準に対し、企業は矛盾を抱え、法規に違反すると知りながら試験や検査を省く、あるいは自らの都合の良いように変更してしまうことも起きているだろう。もちろん、だからといって法規違反をしてよいとは言わない。なぜなら、それは消費者にとって必ずしも適切な手法ではないからだ。

 以上のような傾向は、日本に限らず世界でも起きている。ドイツのフォルクスワーゲンによるディーゼル排ガス偽装問題が象徴的だ。

 いずれにしても、いまの日本においては「日本のものづくり」という言葉さえ、疑いを持たざるを得ない。

 日本の技術は、世界に誇れる水準にはあるだろう。だがそれによって過信が生まれ、自己中心的な尺度で製品を世に送り出すことを正当化してしまう。電動車や電動化といった言葉遣いにも、その兆候が表れている。消費者の存在を忘れ、自らに都合のよい安易な道を選ぼうとする精神が、本当の意味での「日本のものづくり」を蝕んでいる。


御堀直嗣 MIHORI NAOTSUGU

フリーランスライター/2023-2024日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

愛車
日産サクラ
趣味
乗馬、読書
好きな有名人
池波正太郎、山本周五郎、柳家小三治

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