ライバル車の後出しジャンケンで勝つ! かつて他メーカーが「恐怖した」トヨタの「超競争主義」が薄れたワケ (2/2ページ)

パッソセッテの敗因は商品力

 パッソセッテの敗因は商品力にあった。初代シエンタは薄型燃料タンクの採用もあって、コンパクトなボディに広い室内を備えたが、パッソセッテは3列目が窮屈だった。スライドドアも装着していない。車名でも失敗した。ミニバンのユーザーは「これから子育てで頑張るぞ!」という決心と共に購入するのだ。ユーザーとその家族が、新しいライフステージに入る象徴でもある。それなのに価格の安いコンパクトカーの「パッソ」を冠したから、ミニバンの顧客が買う気にならないのも当然だった。従来のトヨタでは考えられない数々のミスに驚かされた。

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 2010年に発売された3代目ヴィッツにも驚いた。エンジンを始めとしてノイズが大きく、乗り心地は粗く、内装の質は低い。販売店のセールスマンは「これでは先代(2代目)ヴィッツのお客様に、新型への乗り替えを提案できない」と頭を抱えた。

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 トヨタがクルマ作りを間違えた一番の理由は、商品開発が海外中心に変わったことだ。過去を振り返ると、トヨタ車は1970年代のオイルショックを切っ掛けに「燃費が優れ低価格で壊れない」ことを特徴として売れ行きを伸ばした。それでも国内販売が778万台のピークを迎える1990年頃までは、海外販売比率は約50%だった。デザインやサイズは国内の好みを反映させながら、走行安定性や乗り心地は海外のニーズに応じて進化させるバランスの良い商品開発を行っていた。

 ところが1989年に自動車税制が改訂されて3ナンバー車の不利も撤回されると、トヨタを含めた各メーカーとも、海外向けの3ナンバー車を国内でも売るようになった。バブル経済の崩壊もあり、国内の売れ行きが減って海外が増えた。その結果、トヨタでも国内と海外の販売バランスが急速に変わり、海外比率は1998年が約60%、2002年には約70%、2007年には80%を上まわった。

 この影響で、国内市場の洞察力が弱まり、商品にも陰りが見え始めたわけだ。市場が縮小気味のセダンは、マークXなどを筆頭に廃止されて車種のリストラが進んだ。売れ筋はカローラクロスやハリアーといったSUV、ノア&ヴォクシーのようなミニバン、ルーミー/ヤリス/アクアといった少数のコンパクトカーに限られる。販売系列も全店が全車を扱う体制に変わり、車種を減らしても成り立つ仕組みを整えた。

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 トヨタが競争意識を控えたことで、ほかのメーカーの覇気も下がり、小型/普通車が売れなくなって国内は軽自動車中心の市場になりつつある。

 従って今となっては、トヨタがホンダを執拗にマークしていた時代が懐かしい。2003年に3代目オデッセイが背の低いボディで登場した時、開発者は「トヨタもここまでの低床プラットフォームは絶対に開発できない!」と胸を張った。ホンダの低床技術は、トヨタに鍛えられたのだ。

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 今のトヨタはスポーツモデルも増えて、物わかりが良くなったが、怖さも薄れた。国内市場はヌルマ湯になり、売れ行きも伸び悩む。

名前:
渡辺陽一郎
肩書き:
カーライフ・ジャーナリスト/2022-2023日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
現在の愛車:
フォルクスワーゲン・ポロ(2010年式)
趣味:
13歳まで住んでいた関内駅近くの4階建てアパートでロケが行われた映画を集めること(夜霧よ今夜も有難う、霧笛が俺を呼んでいるなど)
好きな有名人:
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