「全身センス」ってどういうことだ!? 衝撃キャッチコピーで登場した「初代プレセア」はバブルじゃなきゃ通用しないセダンだった (1/2ページ)

この記事をまとめると

■「全身センス」のキャッチコピーを持った日産プレセアを振り返る

■1980年代から90年代は4ドアハードトップが流行した

■初代モデルは和田 智さんのデザインであった

バブル期は4ドアハードトップが大ブームに

 1980〜90年代、いまから30~40年も前の新型車でも、当時、駆け出しの自動車評論家であった筆者でさえ、印象に残っているクルマは少なくない。1980年代に若者が憧れたのは、スタイリッシュな国産のクーペスタイルのクルマであり、ちょっとクルマに興味がある人なら、ハイソカーの主役だった初代トヨタ・ソアラ、トヨタ・セリカ(映画「私をスキーに連れてって」に初代GT-FOURが登場)、デートカーの真打と言えた3代目ホンダ・プレリュードなどが思い浮かぶだろう。

 1986年12月からは、いまでも語り継がれるバブル期が到来。1990年代にも魅力的な新型車が続々と登場。ホンダCR-X、NSX、アコードクーペ、三菱GTO、エクリプスなどなど。そんななか、1980~90年代にちょっとしたブームになったのが、スタイリッシュさを謳う、低全高4ドアセダンだった。

 その火付け役が、初代が1985年にデビューしたトヨタ・カリーナEDだ。セリカの基本部分を使った4ドアハードトップであり、当時のお嬢さま、奥さまにも人気があり、実際、1980年代の遊び友達のバレリーナを目指していた良家の子女も、ある日、カリーナEDに乗っていたのである。スレンダーな彼女にはめっぽうお似合いで、その後、2000年に中古車販売店のミレニアム記念特別販売「2000円!」という触れ込み、話題性に乗って、筆者もエアコン不調の中古カリーナEDを記事ネタとして2000円で買ってしまったこともあった(諸費用を入れると数万円の支払いでしたが)。

 そんなカリーナEDに代表されるスタイリッシュさが売りの4ドアハードトップブームはしばらく続き、それに乗っかって登場したのが、本稿で取り上げるR10型初代日産プレセアである(知らない? 覚えてない?)。

 プレセアは初代がまだバブル期の1990年6月に登場。B13型サニーの基本部分を使った、全長4395×全幅1695×全高1320mm! という超低全高の4ドアハードトップ。いやいや低い。だって現代のスポーツカー、トヨタ86、BRZの全高1300mmと変わらない低さとしつつも、リヤドアを装備し、スポーツカーに比べればまともな後席を持つ4ドアなのだから、とくに乗降性や頭上方向の余裕では、まったくもって厳しいパッケージングのクルマでしかなかった。

 しかしそれでも、バブルの勢いで当時はスタイリッシュさが受け入れられ、日産もカリーナEDのスマッシュヒットに続けと、プレセアを急いで登場させたのだろう。


青山尚暉 AOYAMA NAOKI

2023-2024日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

愛車
フォルクスワーゲン・ゴルフヴァリアント
趣味
スニーカー、バッグ、帽子の蒐集、車内の計測
好きな有名人
Yuming

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