事故で消滅したたった1台の幻のランボルギーニ「イオタ」! メーカーが本気で作ったレプリカ「ミウラSVR」は世界のランボファン憧れの1台 (1/2ページ)

この記事をまとめると

ランボルギーニには「J(イオタ)」と呼ばれるワンオフモデルが存在した

■「J(イオタ)」は不慮の事故で消滅してしまった

■カスタマーの要望からレプリカモデルとして「ミウラSVJ」と「ミウラSVR」が登場した

ランボルギーニ史に残る幻の「J」とは

 昨2004年には、トータルで1万687台の車両をデリバリーし、売上高も史上初の30億ユーロを超えたというランボルギーニ。その成長と同時に過去のモデルへの注目度も高まり、10年前に設立されたクラッシック部門のポロ・ストリコもいまや大きな利益を生み出している。同部門の仕事はそのクラシックモデルのメンテナンスやレストアのみにあると思われるが、じつは新車当時のドキュメントの管理にも、彼らは大きな役割を果たしている。

 ここで紹介する「ミウラSVR」。1970年代半ばに日本を駆け抜けたスーパーカーブームのときには「イオタ」と呼ばれたこのモデルも、ポロ・ストリコによって2018年にレストアが完了し、またその史実が明らかになったモデルだ。

 イオタ、すなわちイタリア語で「J」を意味する車名が与えられたスペシャルモデルは、そもそもランボルギーニのテストドライバーであり、メカニックでもあったボブ・ウォレスが、就業時間外に仲間の助けを借りつつ製作したワンオフのモデルだった。

 そのシルエットはミウラのそれに似るが、実際にボディパネルでイオタとミウラが共通するのはルーフのみ。このボディに包み込まれる鋼管スペースフレームも、イオタではサイドシルに燃料タンクの役割をもたせるなど、その構造は異なっている。

 かつてウォレスが語ったところによれば、1969年から1970年にかけての11カ月間で完成したイオタは、ランボルギーニのファクトリーを訪れるカスタマーたちからすぐに話題となり、自分にもイオタを製作してほしいというオーダーは何件も舞い込むようになったという。ウォレスのイオタはその後フェルッチオ・ランボルギーニの指示でカスタマーへと販売されるが、すぐにクラッシュによって焼失。すなわち”本物”のイオタはすでに存在していない。


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山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

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