この記事をまとめると
■ポルシェ959はポルシェ唯一のスーパーカーともいわれている
■カール・ハインツ・フュステルによって世界に1台だけスピードスターが作られた
■フュステルの959はカブリオレ・ハードトップ・スパイダーの3スタイルを実現していた
事故った1台の959をオープン化して一儲けを企む
ポルシェ史上、もっとも攻めたモデルは959を置いてほかにないこと、異論の余地はありません。なにしろ、全輪駆動、シーケンシャル(ツイン)ターボ、複合素材を用いたボディなど、初めての挑戦がてんこ盛り。それまでも限定生産モデルはいくつかあったものの、959は作れば作るだけ赤字を生むというのも規格外。悲喜こもごもなニュアンスで「ポルシェ唯一のスーパーカー」と呼ばれるのも当然かと。
そんな959ですが「ボディシェルはクーペのみ」というのも常識中の常識。ですが、じつは世界に1台だけスピードスターが作られていたのです。
ポルシェ959スピードスターのフロントスタイリング画像はこちら
959がオーナーの手もとにデリバリーされたのは1986年からで、フランクフルトモーターショーにおけるコンセプトモデル「グルッペB」発表から3年余りが経っていました。市販されるかどうかもわからなかったのに、1983年の時点で40台を越える予約が入っていたとされます。ドイツ人のもとレーシングドライバー、ユルゲン・ラッシグもそのうちのひとりで、彼はご丁寧にも「ツェルマットシルバー」のボディカラーまで注文していたのだとか。
なお、ラッシグは知る人ぞ知るポルシェレーサーで、1970~80年代にかけてレンシュポルトを駆って数々のレースに参戦していた人物。それゆえ、なにがしかのコネでもあったのでしょう。比較的早い時期、1987年11月にはツェルマットシルバーの959が納車されました。が、嬉しさ余ったのか納車早々にアウトバーンでの多重事故に巻き込まれてしまったのでした。もっとも、本人は無傷なうえに959も軽傷で済んだとのこと。
ポルシェ959スピードスターのリヤスタイリング画像はこちら
この知らせを受けて「その959買い取ります」と手を挙げたのが、ケルンでチューニングファクトリーを営んでいたカール・ハインツ・フュステルでした。彼もまたポルシェでレース参戦していたようですから、ラッシグとは知り合いだったのかもしれません。
ここでフュステルは大それたアイディアを思いつきました。「どうせ、そのうちポルシェ本家が959カブリオレとか作るだろうから、その先を越してやれ。事故の修復をするついでに、ルーフを省いてカブリオレなり、スピードスター化すれば、たとえ事故車であっても、いまのタイミングならゼッテー売れる」とそろばんを弾いたわけです。