不漁になれば仕事なし! 当日まで行き先もわからない! 元大型トラックドライバーが語る「運転士の1日」が想像以上に過酷だった (2/2ページ)

驚くべきことになんとまだ上には上がいるのだ

 魚が揚がる漁港を目指して日本列島を渡り歩いていた知人は、さらに予測ができない仕事をしていた。水揚げシーズンの漁港に張り付いているものの、海がシケたり荒天の場合は漁船が海に出ない。もちろん、魚が揚がらない日は仕事がない。水揚げがあった場合は一番高く買ってくれたところへと鮮魚を運ぶことになるため、名実ともにそのときにならないと行き先がわからないのだ。そんな知人が自宅に戻れるのは、年に数日という過酷なものだった。

 大型トラックで長距離を走っていたころは、1日の睡眠時間は2時間程度というのが当たり前だった。それは決して大げさな話ではなく、一睡もせずに過ごした日々も多かった。

 規制が強化された現代ではありえない話だが、それでも別段稼げてはいない。年収でいえば、年に2回ボーナスが出る同年代のサラリーマンには到底かなわないだろう。そのような世界にもかかわらず、労働時間などを制限されてしまった現代では、まともな生活すらできないのではないだろうか。

 近年のトラック業界は人手不足に喘いでいるようであるが、大変な思いをしながら低収入であれば、若いなり手が増えるはずもない。日本の物流を支える重要な仕事であるため、ぜひとも改善を望みたいところである。


この記事の画像ギャラリー

新着情報