コンプラなど存在しなかった時代ならではの光景
この記事を執筆している筆者は、大手企業などに荷物を運ぶ一般雑貨の仕事から、青果を市場に運ぶという仕事へと変わった。そのため、初期の頃は市場の独特な空気に馴染むことができず、ただ圧倒されるだけの日々を過ごしていたのである。しかし、それでは仕事にならない。いつのころからか、荷受と怒鳴りあいのケンカをすることが普通になっていった。
主要都市の中央卸売市場には全国からトラックが集まってくるため、深夜でも荷物を満載したトラックたちで大渋滞となる。それに、トラックの通路であっても道をふさいで荷物を降ろす業者があるなど、荷物を降ろすという基本的な作業であってもスムースに進まない。
数時間待たされるということも珍しくなかったため、周辺のパン屋がトラックが並ぶ通路までおにぎりやパンを売りに来ていた。たとえ市場に到着していても市場内の業者に荷物を降ろしていなければ意味がないため、最悪の場合は場内延着というペナルティを課せられてしまうのである。
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そんな状態であったため、ただおとなしく待つというわけにもいかないのだ。黙っているといくらでも後まわしにされてしまうため、どうしても強い口調で仕事をするしかないのである。
当時お世話になっていた業者に、元ボクサーだという男性がいた。その人からよくフォークリフトを借りて荷物の積み下ろしをしていたのだが、忙しくなると「リフトまだかいのぅ〜」といいながら、シャドーをしながら迫ってくるのである。もちろんそれは冗談でのやり取りだが、周囲のいたるところで怒鳴り合う声が聞こえて来る。
「お前んとこが頼んだ荷物と違うんかい! さっさと降ろせや!」
「アホ、わしは担当やないからそんなもん知らんわ。おとなしゅう待たれへんのやったら、黙ってもって帰れ!」
「お前ら通路塞ぐな! ぶちくらわすぞアホンダラ!」
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そんな声を聞きながら、仕事に励んだものである。そんな市場での仕事は、とにかく肌に合わなかった。市場に鮮魚を運んでいたときはさほど気にならなかったのだが、個人的には青果を扱う業者のドライバーが荒れていたように感じている。
時代が変わり、言葉ひとつで出入禁止という処分を課せされるようになった。どちらの世界が生き辛いかは微妙だが、いまにして思うと、当時の市場仕事は楽しかったようにも思えてくるから不思議なものだ。