この記事をまとめると
■いすゞはかつて乗用車を多数手掛けていた
■ジェミニは4世代に渡って販売された
■最終モデルはホンダのOEMモデルであった
いすゞを支えた名コンパクトカー
いすゞジェミニは、いすゞが米国のゼネラルモーターズ(GM)と提携していたことから1974年に生まれた小型車である。
ただGMといっても、北米で販売されるような大柄な米国車ではなく、いすゞと同様に欧州でGM傘下にあったオペルのカデットを基にした乗用車である。
オペルは、欧州ではフォルクスワーゲンと並んで大衆向けといった銘柄で、派手さはないが、実用性と性能を満たした車種を揃えている。初代ジェミニも、たとえばVWのゴルフのように手ごろな価格で欧州車の実用性を味わえる1台だった。
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車名のジェミニは、「双子」の意味で、いすゞとGMの共同による車種との意味があると伝えられている。またジェミニは、いすゞがそれまで販売してきたベレットの後継でもあるとされる。ちなみに、ジェミニという名称は、60年代に米国で進められた有人飛行による宇宙計画の名でもあり、当時の日本において馴染みがあった。初代ジェミニは後輪駆動だったが、1985年の2代目から前輪駆動に替わる。この2代目は、いすゞが独自に開発した。
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80年代は、日産サニーやトヨタ・カローラなども、それまでの後輪駆動から前輪駆動へ転換していく時期であった。VWゴルフが示したように、FF(フロントエンジン・フロントドライブ)方式は、小型車として室内や荷室空間の合理性に大きく貢献する一方、走り味という点ではFR(フロントエンジン・リヤドライブ)に及びにくいというのが一般的だった。
そこで、いすゞは大胆なテレビ広告の映像を打ち出した。「街の遊撃手」の題目で、カースタントを活用し、2台のジェミニが並んでドリフト走行をしたり、何台ものジェミニが隊列を組んで同じ動きをして見せたりし、FF車であろうとこれほど自在に走り、楽しめると訴えかけたのだった。このTVCMは、一世を風靡した。
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3代目のジェミニは、FFとしては2代目となる。その造形は、のちに日産自動車へ移籍する中村史郎が中心になったといわれる。「街の遊撃手」の手法を継承したテレビ宣伝(「才なクルマ」)の効果もあり、販売が好調だった2代目からの買い替えが順調に進んだとされる。
一方で、前輪駆動の操縦性を改善しようと後輪側サスペンションに採用された「ニシボリックサスペンション」と名付けられ、旋回時に後輪の角度を動かす受動的4輪操舵のような機能は、運転感覚に不自然さが出ると厳しい評価も下された。2代目でのTVCMの走りを、あたかも消費者自身が疑似体験できるようにとの挑戦だったといえるかもしれない。
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以後、94年の4代目と97年の5代目は、いすゞが乗用車開発を止めたことから、ホンダからドマーニのOEM(相手先ブランド名製造)供給を受けての販売となった。
ホンダのドマーニは、当初ホンダ・アコードの5代目ではないかと目されたが、アコードは北米での販売好調を受け5代目からは3ナンバーの別の車種が当てられ、5ナンバーのドマーニがホンダ銘柄として新たに誕生した背景がある。シビックとアコードというホンダを支える2本柱と比べ、存在意義を見出しにくくなったドマーニは、いすゞジェミニとして間口を広げたことになる。