この記事をまとめると
■ポンティアックGTOは元祖マッスルカーとして誕生したモデル
■高出力のV8エンジンや多彩なオプションで存在感を強め人気を獲得した
■オイルショックや規制強化で失速し歴史は途切れることとなった
ポンティアックブランドの大ヒット作
アメ車でもエンジンや足まわりを高度にチューニングして、パワフルでダイナミックに走るクルマは「マッスルカー」と呼ばれ、現在でもクルマ好きの胸をときめかせています。なかでも、ポンティアックGTOは元祖マッスルカーといわれるだけあって、ダントツの人気を誇るモデル。マッスルとは程遠いエレガントなスタイルに、暴力的なパワーをぶち込んだポンティアックの最高傑作をご紹介しましょう。
ポンティアックは、GMのなかで若者向けブランドというポジションでした。つまり、スポーティなイメージに加え、お手頃価格というのがウリということ。残念ながら2010年にブランドとしては消滅してしまったものの、GTOだけでなくボンネット上のファイヤーバードで有名なトランザムなど、アイコニックなモデルを多数リリースしていたのです。
ポンティアック・ファイアーバード・トランザムのフロントスタイリング画像はこちら
1960年代初頭、ポンティアックでは若者にはレースシーンよりもストリートでのパフォーマンスが重要とのマーケティング戦略が立てられました。たしかに、そのころはNASCARをはじめとしたストックカーレースが盛り上がっていたものの、そっちは同じGMブランドのシボレーに任せておけばいいとされたのかもしれません。とはいえ、ハイパワーでダイナミックなクルマに仕立てるには、レースカーに通じる資質が必要だと考えられたのです。
そこで、選ばれたベースは縦置きエンジン、トランスアクスル、そしてリヤアクスルにはデフのみを配置する典型的なFRパッケージをもったポンティアック・テンペスト(1964)でした。5.3リッターのV8を搭載したコンパクトセダンでしたが、ポンティアック・カタリナやボンネヴィルに載せていた6.4リッターV8へと換装。とはいえ、最初のGTOはブランドの戦略としてテンペストのスペシャルバージョン「ル・マンGTO」として5000台の限定発売となったのです。
ポンティアック・テンペスト GTOのフロントスタイリング画像はこちら
ところで、GTOのネーミングはフェラーリ250GTOと同じく、グラン・ツーリスモ・オモロガートの意味合いだったのですが、これにフェラーリファンが咬みついたとのこと。「レースに出るでもホモロゲーション(オモロガートはイタリア語)モデルでもないクルマにとんでもない」といまでいう炎上案件(笑)ですが、5000台は発売と同時に瞬殺で完売し、そうした声を封殺したのでした。
翌1965年にテンペストGTOはフルモデルチェンジをして、ポンティアック伝統の縦2連ヘッドライトのスタイルに。搭載エンジンは同一ながら吸気系の改良を受け、吸気量が増加したことで4バレルキャブのノーマルエンジンでそれまでの325馬力から335馬力/5000rpmへとパワーアップもしています。さらに、トライパワーと呼ばれる2バレルキャブを3連装するオプションを組めば360馬力/5200rpmまで向上したとされています。
3連装2バレルキャブ「トライパワー」画像はこちら
え、8気筒でキャブが3基って半端じゃね? と思われるかもしれませんが、トライパワーでは3基のうち低回転域では1基のキャブが燃料供給し、高回転域になるとリンケージで残り2基のキャブが燃料を増量させるメカニズム。なお、1965年モデルで加えられたフロントフード上のエアスクープは飾りではなく、わずかながらもキャブへのフレッシュエア取り込みに役立っていたのです。
この1965年式トライスター仕様に、4速クロスレシオ、ラリーホイール、最終減速比4.11のLSDといったディーラーオプションを加えたクルマで雑誌のテストが行われたところ、0-60マイル(0-97 km/h)加速は5.8秒、1/4マイルは14.5秒、最高速はレッドゾーンの6000rpmまでまわし切って114マイル(約180km/h)を記録。いまとなっては平凡な数字かもしれませんが、当時のマッスルカーの名誉を汚すようなパフォーマンスではありません。
後期モデルのポンティアック・テンペスト GTO画像はこちら