利用者の心構えも変えなければライドシェア普及は難しい
日本社会は自己責任という意識が希薄とされており、当事者を超えて行政に責任を求めるケースも珍しくない。まずは責任の所在をはっきりさせないと、ものごとが前へ進んで行かないという社会構造もライドシェア導入を阻害しているともいえよう。
この流れは自動運転タクシーにもいえるだろう。海外では、この分野でもプラットフォーマー主体で普及が進んでいるが、前述した日本型ライドシェア同様に日本では既存のタクシー事業者が運行を行うことになるだろう。ただ、最大手のタクシー事業者なら話は別だが、自動運転タクシーを導入するにあたってのオペレーション(使用車両はBEV[バッテリー電気自動車]がマストとなるだろう)は、第三者に委ねるケースがほとんどとなるようだ。
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無料投稿動画を見ても、導入先進国のアメリカでは自動運転車両が犯す交通違反の多発、路面電車軌道内で原因不明の立ち往生で路面電車を停めてしまうなどの不測のトラブルが多く発生している。
車両導入、それを監視するシステム(または外部発注)にかかるコスト、実際アメリカで見たなかでは充電施設で充電に戻ってきた車両へ充電ケーブル接続をしたり、車両内外の清掃などを行うスタッフの確保などが必要となり、いまの日本のタクシー業界のまま自動運転タクシーへ移行というのは無理があるようにも見える。そしてここでも、新たに発生するのが責任の所在である。
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諸外国では、たとえば自分でライドシェアを選択したというのが前提で、利用過程で発生したトラブルを当事者意識を強く持って自己解決していくのだが、日本社会では残念ながらこのようなシチュエーションでは「誰が責任取るんだ」が先行する社会となっている。そのため、海外では便利なサービスだと思っていても、日本仕様に落としこむと「あれっ、こんなはずでは?」ということもあるあるとなってしまう。
仮に日本で海外のような純粋なライドシェアサービスを利用する際には、利用するたびに利用料金内に掛け捨ての自動車保険(強制保険ということになる)が含まれることで、乗車ごとに保険加入して自衛することになるかもしれない。そうなると、世界的に高いともいわれる日本のタクシー料金と大差がなくなり、魅力も薄れるかもしれない。
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技術的な対応に終始するのではなく、利用者の心構えも変えていく努力をしなければ、日本では「海外で便利な新しいもの」はなかなか実現しないものと筆者は考えている。