この記事をまとめると
■シトロエンの2CVは簡素な作りが特徴の世界的名車だ
■2CVには砂漠で使うためにエンジンが2機搭載された「サハラ」というモデルが存在する
■社会情勢の影響により700台弱の生産に留まった激レアモデルだ
エンジンが2機積まれた激レア2CVがあった
クルマのエンジンは、大抵の場合1基しか搭載していないものですが、長い歴史を振り返れば、2基搭載した「ツインエンジン車」もちらほら存在しています。ご想像のとおり、パワーアップを目指したモデルが大半ですが、シトロエンはサハラ砂漠で石油を掘り当てるためという変わり種を開発しました。しかも、国民車として有名な2CVをツインエンジン化したとなれば、面白エピソードに事欠くことはありません。
砂漠の過酷な条件が求めた「絶対に生還できるクルマ」
1950年代、北アフリカのアルジェリアはフランスの植民地であり、フランスはサハラ砂漠で大規模な石油や天然ガスの資源探査を精力的に進めていました。しかし、道なき砂漠の環境は過酷そのもので、重量のある一般的な4WD車はスタックしやすく、砂漠の真んなかで駆動系やエンジンがトラブルを起こせば、それは完全に死亡フラグです。
そこでフランス人土木技師のボナフース(Bonafouse)という人物が、軽量な2CVをベースにふたつのエンジンを載せて砂漠を走る改造車を個人的に実験しました。もともと軽量で悪路走破性に優れていた2CVでしたので、「それならエンジンをふたつ載せて4WDにしたらいいかも」と、シトロエンが目をつけて量産プロジェクトへと発展。1960年、2CV 4×4 サハラが正式に発売されたのでした。
シトロエン 2CVサハラ画像はこちら
「ツインエンジン」という前代未聞のパッケージング
最大の特徴は、前輪用と後輪用に、それぞれ独立したパワートレインを丸ごと積んだことでしょう。ベースとなった2CVは、フロントに425ccの空冷水平対向2気筒OHVエンジンを搭載していますが、サハラはこのエンジンをフロントだけでなく、本来ならトランクがあるリヤのスペースにも同じものをもう1基放り込んだのでした。
前後エンジンを合算した総排気量は850ccとなり、最高出力は1基あたり12馬力、トータルで24馬力(後期型では27馬力まで向上)を発揮することになりました。
シトロエン 2CVサハラのリヤエンジン画像はこちら
ざっくり過ぎる設計ゆえか、前後を繋ぐプロペラシャフトは存在せず、2基のエンジンに機械的な結合もありません。ですが、ドライバーが操作する1本のシフトレバー、クラッチ、アクセルペダルが、リンク機構を介して前後のトランスミッションとキャブレターをシンクロさせる機構だけはしっかり作りこまれています。しかも、ダッシュボードにはふたつのスターターキーがあり、前後どちらのエンジンも個別に始動・停止が可能でした。
シトロエン 2CVサハラのスターター画像はこちら
つまり、砂地ではない平坦な舗装路や燃料を節約したいときは、フロントエンジンだけをかけて「前輪駆動の2CV」として走ることができたのです。フロントエンジンのみで走る際の最高速度は約65km/hに留まりましたが、前後のツインエンジンをフル稼働させれば最高速度は約105km/hと、2倍とまではいかないものの、かなりのパワーアップでしょう。
また、燃料タンクもそれぞれのエンジンに燃料を供給するため、15リッターの燃料タンクが運転席と助手席のシート下に1基ずつ配置されました。これなら、もし砂漠の真んなかで片方のエンジンが焼き付いて壊れても、もう片方が生きていれば、前輪駆動または後輪駆動車として自走し、確実にベースキャンプへ帰還することができたのです。
シトロエン 2CVサハラの燃料タンク画像はこちら
歴史の波にもまれ「サハラ」の名が消えた
しかし、このロマンあふれる名車は、世界史の大きな荒波に揉まれることになります。2CV 4×4 サハラが生産されていたまさにその時期、現地ではフランスからの独立を求める「アルジェリア独立戦争」が激化。そして1962年、アルジェリアはついに独立を果たし、サハラ砂漠の大半はフランスの手を離れることになったのです。
シトロエン 2CVサハラ画像はこちら
自国の領土ではなくなった砂漠の名を冠し続けるのは都合が悪い。そんな大人の事情(政治的背景)から、シトロエンは1962年に「サハラ」の名称を外し、単に「2CV 4×4」へと改名を決定。1960年から1967年までに生産されたのはわずか694台。そのうち「サハラ」の名を冠して生まれた前期型は、406台という貴重な存在となりました。
市場価格は3000万円ほどしますが、「君のクルマってエンジンひとつしかないの? オレのはふたつ積んでるよ!」と自慢できるクルマは滅多にないでしょう。