「仏壇グリル」から「西陣織」へ。欧米の模倣から独自の進化を遂げた国産車の“日本らしさ”追求史 (1/2ページ)

1980年代に登場した和洋折衷なクルマたち

 レクサスのLSがドアトリムに西陣織の技法を取り込んだり、あるいは新型のエルグランドのグリルが日本の伝統的な格子表現を採用するなど、最近は日本固有の表現をクルマに落とし込む例が少なくありません。

 ただ、こうした伝統工芸だけでなく、これまで多くのクルマが「日本的」なアプローチに挑戦してきました。今回は、より広い意味で日本表現に挑んだ国産車を一気に振り返ってみたいと思います。

 国産車の黎明期は、ノックダウン生産に代表されるように欧米車の模倣から始まり、ある種の憧れとともに、これを追随することで発展してきました。

 そんななか、1980年代に現れたのが「和洋折衷」な高級車たちです。代表的なところでは1983年登場の7代目クラウンや翌年の5代目マークII、同じく5代目のローレルなどが挙げられます。

 ベースの造形はアメリカ車的なのですが、クラウンやマークIIの「クリスタルピラー」や、ローレルの仏壇風グリルなど、まるで日光東照宮のような豪華絢爛さを融合させたのです。これはインテリアも同様で、まさに和洋折衷の日本的「応接間」のような華美なシートが流行し、当時のユーザーを満足させました。

 また、このローレルのほか、7代目のブルーバードやトラッドの名でヒットした6代目サニーなど、1980年代半ばの日産勢が送り出したペキペキボディも、あたかも折り紙細工のような平面的造形がじつに日本的と言えるでしょう。

日本のクルマ文化の最盛期バブル期を飾った高級志向

 一方、同じ1980年代でも後半に訪れたバブル期には、また違ったアプローチが見られました。言ってみれば、好景気による潤沢な開発費を背景とした贅沢志向で、京都三千院の釈迦三尊像などをモチーフとしたという初代シーマは、ボディ全体に施された静かで上質な曲面が特徴でした。

 1989年発売の初代インフィニティQ45は「ジャパン・オリジナル」をキャッチコピーとし、グリルレスのフロントに七宝のエンブレム、インパネには漆塗りを奢ったのです。インフィニティには日本発のグローバルブランドという特殊な立場がありましたが、世界に通じる「和」を模索した点がユニークと言えます。

日本の伝統「ヤンキー文化」と衰えぬ人気のカスタム仕様

 1990年代から2000年代は多様化の時代と言われますが、ここに現れたのがカスタムブームです。

 キッカケは1995年登場の初代ムーヴに追加されたカスタムシリーズで、標準仕様と異なるヤンチャな顔を与える手法は日本特有の「ヤンキー文化」に火をつけ、他社の軽ワゴンはもとより、ノア・ヴォクシーなど小型ミニバンにも広く波及しました。

 ちなみに、このカスタム仕様の登場は、1999年の東京モーターショーに出品されたホンダの「不夜城」なるコンセプトカーを生み出します。「眠らない夜の街を徘徊する」というテーマには驚かされますが、それこそがニッポンのヤンキー魂。さらに、カスタムカーの祭典である東京オートサロンで発表されたトヨタのbBは、その勢いを量産車で実現してみせました。

 先日マイナーチェンジされたホンダのN-BOXでは、カスタムシリーズの顔にメッキが追加されたことが話題ですが、ここまで長い間にわたって支持されるのは、もはやヤンキー嗜好が日本人の心の奥底に根付いていることを示していると言えるでしょう。

速く走らなくてもいい? デザイン重視のクルマ

 2000年代の多様化では、また別の日本的視点で1台の名車が生まれました。2002年登場の2代目キューブです。左右非対称のリヤウインドウを含めて大きな話題を呼び、大ヒット作となりました。

 ただ、「マジカルボックス」を開発コンセプトとした同車は、特段日本的なコトやモノは謳っていません。

 後に設定されたセレクトショップであるコンランとのコラボシリーズを見ても、どちらかと言えば「洋間」を意識させます。にもかかわらず、このクルマに日本を感じるのは、造形の細かい部分の話ではなく、部屋という動かないもの、動きそうにないものをクルマにしてしまったこと自体にあります。

 欧米で生まれたクルマは「速く移動する」ことを追い求めてきましたが、そこに「止まったカタチ」を持ってきたことがじつに日本的です。


この記事の画像ギャラリー

すぎもと たかよし SUGIMOTO TAKAYOSHI

サラリーマン自動車ライター

愛車
いすゞFFジェミニ4ドア・イルムシャー(1986年式)
趣味
オヤジバンド(ドラムやってます)/音楽鑑賞(ジャズ・フュージョンなど) /カフェ巡り/ドライブ
好きな有名人
筒井康隆 /三谷幸喜/永六輔/渡辺貞夫/矢野顕子/上原ひろみ

新着情報