美しいだけじゃなく空力も極めていた! フェラーリがピニンファリーナを相棒に選んだワケ

この記事をまとめると

■長年フェラーリの造形はピニンファリーナが担ってきた

■空力と設計力が外部デザイン起用の大きな理由だった

■現在は社内組織が機能重視の造形を推進している

フェラーリのデザインは誰が担ってきたのか

 フェラーリというブランドから生み出されるモデルが大きな魅力としているのは、やはり世界の最先端にあるエンジニアリングによって実現されたパフォーマンスであり、また圧倒的な美しさとともに常に斬新な感覚に満ち溢れたボディデザインにあるのではないだろうか。

 フェラーリ車のデザインといえば、かつてはピニンファリーナによって描かれ提案されることが常だったが、現在では2010年にフェラーリの社内部門として設立された、チェントロ・スティーレがそれを担当している。

 まずはフェラーリとピニンファリーナの関係をさかのぼってみることにしよう。1950年代初頭に、エンツォ・フェラーリと、ピニンファリーナの創始者であり当時の社長でもあったバッティスタ・ピニン・ファリーナによって行われた会議によって、その後のフェラーリ・デザインをピニンファリーナに委ねることに合意した両社は、それからさまざまなモデルを誕生させていくことになる。

 ファーストモデルとなったのは1952年に製作された「212インテル・カブリオレ」。それからフェラーリは「ディーノ308GT4」のデザインをベルトーネに委ねたことを唯一の例外として、プロダクションモデルをピニンファリーナとともに完成させてきた。だが、そのコラボレーションは2012年にデビューした「F12ベルリネッタ」をもって終了することになる。前で触れているように、2010年にはチェントロ・スティーレが設立されたからだ。

 そもそもフェラーリが約半世紀にも渡ってピニンファリーナをパートナーとし続けていたのは、優秀なデザインチームが生み出すスタイルの美しさとともに、彼らが非常に高いエンジニアリングの能力を有していたことにもまた大きな理由があった。1972年には実車をそのまま計測できる風洞実験装置を完成させ、エアロダイナミクスや音響の研究などにそれを積極的に活用。1973年にデビューした「365 GTB4BB」はまさにこの風洞の産物だった。

 フェラーリがチェントロ・スティーレを設立した目的のひとつには、デザインとエンジニアリングをさらに密接に共存させる必要があったと、現在も同部門を率いるデザイナー、フラビオ・マンゾーニは語る。彼とそのチームが最初に手がけたのは2013年に499台の限定車として発表された「ラ・フェラーリ」だったが、確かにそれは究極のエアロダイナミクスを可視化したかのようなデザインである。そして同時に1960年代のスポーツプロトタイプカーをイメージさせる雰囲気が醸し出されていたのも特徴だ。

 チェントロ・スティーレがデザインを担当することになって以降、より強調されるようになったのはデザインと機能の関連づけが深くなったことだ。それはフェラーリに新しいデザイン・コンセプトを生み出し、時にこれまでの常識では考えられないほどに強い個性と、意外性さえ感じさせる造形を生み出すことになった。機能を最大限に追求したあまり、それにネガティブな意見が唱えられるだろうことも、最初から想定されているところだ。

 だが、フェラーリのチェントロ・スティーレは、常に未来のデザインを意識し、そしてさらなる興奮をカスタマーに届けるために進化を続けている。ピニンファリーナ時代のフェラーリか、あるいはチェントロ・スティーレ時代のフェラーリか。そのどちらを好むのかは、まさに人それぞれなのである。


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山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

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