この記事をまとめると
■日本メーカーは海外メーカー製の高級車を販売していた
■開発コストを削減して高級車市場への参入を狙った
■多くは販売台数が伸びず短命に終わった
国産なのに中身はアメ車
いまとなっては信じがたいことですが、1970年代に日本の自動車メーカーが海外からフルサイズボディを調達し、自社ブランドの高級車として販売していたことがありました。つまり、GMやクライスラーから3ナンバーのボディを輸入して、自社工場で内装などを仕上げて販売という手法。そこには開発コストの削減という狙いもあったのでしょうが、なんとも大らかな時代だったと思い返さずにはいられません。そんなマニアックな日本製アメ車をピックアップしてみました。
マツダ・ロードペーサー(1975〜1977年)
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東洋工業が、当時の最高級車「ルーチェ・レガート」を超える公用車・ショーファードリブン市場へ参入するために投入したモデル。オーストラリアのホールデン(GM傘下)から、エンジンやトランスミッション、内装の一部を「載せない状態」のボディの状態で輸入。これを広島のマツダ宇品工場にもち込み、自社製の13B型ロータリーエンジンと3速ATを組み込んで完成させました。
とはいえ、もとは車重1.6トンでスモールブロックのV8を搭載していたクルマ。13Bがいかにスムースな回転をしようともトルク不足は明らか。燃料調整にも苦心した挙句、リッターあたり2kmとか3kmという残念な燃費に終わっています。これが災いしたのか、2年間でわずか800台しか売れず、あえなく生産中止とあいなりました。スタイルとしてはアメ車のまんまなので、ロータリー好きとしては放っておけないレアモデルといえるでしょう。
いすゞ・ステーツマン・デ・ビル(1973〜1975年)
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最高出力240馬力を誇る、5リッターV8エンジンを全長5m、全幅1.8mを超えるボディに搭載したフルサイズモデル。こちらは、マツダと違って自社のエンジンすら載せずに買ってきたまんまで販売したパターン。もっとも、当時のホールデンで最高級モデルだったデ・ビルだけに、小細工は必要なかったのかもしれません。
先のマツダも同様ですが、オーストラリアは日本と同じく右ハンドル仕様なので、国内向けの仕様変更は最小限で済んでいます。たとえば、当時はまだドアミラーが禁止されていたため、日本の法規に合わせたフェンダーミラーへの変更や、ランプ類の配線・レンズの色変更などが施されました。
ともあれ、当時のいすゞディーラー網は強固なセールスパワーがなかったらしく、2年間でわずか246台の登録に終わっています。むしろ、いすゞマニアにとっては貴重なモデル。中古市場でも滅多に見かけない逸品です。
三菱クライスラーシリーズ(1970年代〜)
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三菱自動車は当時の提携先であったクライスラーのクルマを「三菱クライスラー」として日本で正規販売していました。デボネアというトップエンドモデルがあるにはありましたが、それだけではカバーしきれなかった富裕層や法人向けの選択肢としてカタログに載せていたのだとか。考えようによってはなかなか贅沢な販売戦略といえるでしょう。
取り扱い車種はクライスラー318やチャージャーまで名を連ね、マツダやいすゞと違ってそれなりの売り上げをもたらしたとされています。面白いのは、この後1980年代に入ると本国アメリカのクライスラーが経営危機に陥ったため、三菱自動車と三菱商事がオーストラリアの工場をまるごと買収。そこで生産したマグナがオーストラリアで国民的ヒットとなったのは、なんとも皮肉なエピソードです。