勝手に殿堂入り! 50年後も語り継ぎたいニッポンの平成スポーツカー10選

この先も語り続けたい国産名車

「昭和も遠くなりにけり」という言葉があるが(もとは「降る雪や明治は遠くなりにけり」という俳句)、もうすぐ平成も終わり、いずれ「平成も遠くになりにけり」と呼ばれる日が来るのだろう。

 しかし、この平成の30年間に国産メーカーは、歴史的にも意義がある名車を数々と生み出してきた。その中から年号が変わっても、ずっと先まで語り継ぎたい、ニッポンのスポーツカーをリストアップしてみよう。

1)平成元年 日産スカイラインGT-R(R32)

 平成元年の1989年ほど国産車にとって名車の当たり年、ビンテージイヤーといえる年はそうそうない。この年の8月、スカイラインGT-Rが16年ぶりに復活した。グループAレースでツーリングカーの頂点に立つという目標を掲げ、600馬力級の直6ツインターボエンジンを地面に確実に伝える、四輪マルチリンクサスペンション+最新のトルクスプリット4WD=アテーサE-TSなど、最新最強のスペックを惜しみなく投入。ポルシェ911ターボすら凌駕する圧倒的なパフォーマンスを実現した。国産スポーツモデルのレベルを、一気に10年分以上底上げした歴史的な一台だ。

2)平成元年 マツダ・ユーノス・ロードスター(NA)

 同じく平成元年9月、マツダからユーノス・ロードスターが発売開始。世界的にも完全に下火になっていた「ライトウェイトオープン スポーツ」を理想的な形で復活した。愛着が持てるスタイリング、運転することの楽しさを最優先したFRレイアウトの優れたパッケージ。エンジンパーツ類は平凡だが、価格が安価で、適度に和風テイストも盛り込んだ傑作。

 世界中の自動車メーカー、真のスポーツカーファンに大きな影響を与え、パッケージの妙から、30年経っても魅力が色褪せない不朽の名車、ロードスター。これは間違いなく、殿堂入りの一台だ。

3)平成2年 ホンダNSX

 1980年代後半、セナ・プロストコンビでF1を席巻していた絶頂期のホンダが、そのフラッグシップマシンとして、1990年9月に登場させた国産車初の本格スーパーカーNSX。世界初の「オールアルミモノコック・ボディ」を採用し、F1譲りのVTECエンジンを横置きでミッドシップにレイアウト。

 ニュルブルクリンクを徹底的に走り込み、ボディ剛性の強化やサスペンションジオメトリーなどをとことん追求。ポルシェやフェラーリが真っ青になるほど、優れたハンドリング特性を誇っていた。ドライバーを中心にした設計思想で作られていて、視界なども非常に良好(運転席からの水平方向の視界は311.8度)。

 また、ドライバートレーニングのためのNSXオーナーズミーティングなどもメーカーが主催し、スポーツカー文化の面での功績も大きかったので、NSXも殿堂入り。ちなみにキャッチコピーは『our dreams come true』だった。

4)平成3年 マツダRX-7(FD3S)

 フロントミッドシップのコーナリングマシン、RX-7の3代目、FD3Sは1991年の10月に登場。ホイールベースをはじめ、基本的なプロポーションは先代のFC3Sと変わらないが、新開発の四輪ダブルウイッシュボーンサスで足まわりをアップデート。サスアームにはピロボールまで入れていた。

 エンジンはポルシェ959に次ぐ、シーケンシャルツインターボ+13Bロータリーで、パワーウエイトレシ5㎏/ps以下の達成を使命に開発。当初より150kgの軽量化に成功し、車重を1250kgに抑えている。

「操るのはデバイスではなく、あくまでドライバーの右足」というコンセプトで作られており、かなりクイックな味付けで、GT-Rの対抗馬として一目置かれるハンドリングを誇っていた。

5)平成6年 ホンダ・インテグラタイプR(DC2)

 時代は一気に飛ぶが、1998年8月にインテグラで初のタイプRが登場。ベース車でもNAでリッター100馬力を越えていたB18エンジンを、手作業によるポート研磨をはじめ、ピストン、カム、吸排気系、ECUをチューニングし、1.8リッターで200馬力までチューニング。車体も剛性アップと軽量化され、サスペンションもタイプR用のセッティングとなった。

 ヘリカルLSDも装着され、FF=曲がらないというイメージを完全に払拭! FFのスポーツカーとして革命的な一台で、メーカーによる本格チューニング=タイプRを定着させた意味でも、歴史的な意義は大きい。

6)昭和60年 トヨタ・セリカGT-FOUR

 異論はあるかもしれないが、1985年から1989年=平成元年まで販売された、4代目セリカも重要なクルマだ。とくに1986年に、トヨタ初のベベルギア式センターデフ(手動デフロック付き)を採用したフルタイム4WDのGT-FOUR(ST165)は、1990年にランチア破って、WRCで国産車初のドライバーズタイトル(カルロス・サインツ=F1ドライバーのカルロス・サインツJrの実父)を獲得したのは大快挙。

 WRC用のホモロゲーションモデルとして5000台限定で作られた、5代目セリカ(ST185)GT-FOUR RC(RC=ラリー・コンペティションの略)も印象深い。

7)平成6年 スバル・インプレッサWRX STi

 スバルの初代インプレッサは、1993年からWRCに参戦。1995年には8戦中5勝を挙げて、コリン・マクレーがドライバーズタイトルを獲得し、同時にマニュファクチャラーズタイトルも手にしてダブルタイトルに輝いた。

 レガシィのWRC参戦経験を生かし、コンパクトなボディに強力なターボエンジン、そしてそのパワーを4WDで余すところなく路面に伝えるという方法論を確立し、ラリー界で日本車の黄金時代を確立していった。グループAは量産車ベースで、市販モデルもワインディングでは驚異的に速く、GT-Rなど大パワー車もサーキット以外では手を焼いた。

8)平成8年 三菱ランサーエボリューションⅣ(以降)

 セリカ、インプレッサときたらランエボも欠かすことはできない。ランエボⅠは、平成4年=1992年の登場だが、歴史に残るとなると、フルモデルチェンジとなった第二世代のランエボⅣ以降だ。ランエボⅣには、電子制御で旋回性を向上させるアクティブ・ヨー・コントロール(AYC)が実用化。

 WRCでも、三菱の電子制御アクティブディファレンシャルシステムは最大の武器で、1996年から1999年まで4年連続ドライバーズタイトル(トミ・マキネン)の偉業を成し遂げている。

 市販車では、3ナンバーサイズになったエボV以降の戦闘力アップが特筆できる。AYC+ACDの電子制御4WDは、好悪が分かれることもあったが、日本独自のハイパフォーマンスカーとして、ランエボの存在は大きい。

9)平成11年 ホンダS2000

 ホンダからはもう一台、本田技研工業創立50周年記念として、1999年4月に発売されたS2000もランクイン。ホンダとしてはS800以来、29年ぶりのFR車で、エンジンもシャシーも専用開発という異例のクルマ。

 JTCCやF3のレーシングエンジンだった、H22A改のデチューン版の新エンジンF20Cは、量産エンジンでレブリミット9000回転という驚異のスペック。オープンカーとしては群を抜くボディ剛性を誇るハイボーンXフレームに、ミッションまでも専用設計。

 低重心化を狙ったインホイールレイアウトの四輪ダブルウイッシュボーンサスを採用し、サスペンション剛性を高めるために、サブフレームにブッシュを介さずボルト結合。ステアリングフィールを優先し、チルトやテレスコなどの調整機能を廃しているなど、非常に意欲的な設計が目立つ。 

 ロングノーズのフロントミッドシップで、重量バランスも前後50:50を実現。リヤダンパーもレスポンスに優れた別タンク式だったりと、何もかもスペシャル。

 ピュアスポーツにふさわしい走りを見せてくれる反面、オープンカーとしてのファン・トゥ・ドライブという点では、ちょっとピンとがずれているといわざるを得ないが、こんなクルマは二度と出てこないかもしれないので、ランクイン。

・番外編

 平成目前、昭和最後の年、1988年デビューの日産シルビア(S13)も、番外編として挙げておきたい。クルマとして機械として、名車かと言われると疑問符がつくが、ポジション的にはAE86の後継車として、安価で軽くてFR。しかもターボで、これまでにない品のいいスタイルを持って登場。

 その後、日本発祥のドリフトブームが巻き起こり、ドリフト文化を形成していくうえで、非常に大きな役割を果たした。S13、S14、S15の三世代シルビアと、その兄弟車、180SXをセットに加えて、次世代に語り継ぎたい、平成の国産スポーツカーベスト10台としておこう。


藤田竜太 FUJITA RYUTA

モータリングライター

愛車
日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)
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