キワものマニア御用達「だった」シトロエン! 突如「日本の一般人でも乗れる」自動車メーカーになったワケ (2/2ページ)

シトロエンを変えたジャン・ピエール・プルエ

 そんなシトロエンが変わったのは、ルノーで初代トゥインゴを描いたデザイナー、ジャン・ピエール・プルエがチーフデザイナーとして移籍してきた2000年代半ばから。プルエの名前でピンと来た人は鋭い。今やステランティス・グループのデザイン全体のトップとして、数週間前にはランチアに関するトーク動画に出ていた男だ。彼は「目に見えて感じられる品質」を基軸として打ち出し、セバスチャン・ローブ全盛期のWRCカーとなった初代C4以降のシトロエンを数々手がけた。あのハッチバックの成功を皮切りに、プジョーと部品共有の進んだシトロエンは品質や信頼性も向上、かくしてドイツをはじめ欧州全域でシトロエンのイメージは急上昇した。

 実際、プルエの下で育ち、その後のシトロエンの成長に貢献したデザイナーたちは、今や欧州の他ブランドに引き抜かれ、重要なポストを任されている。C5のエクステリアをまとめたドマゴイ・デュケックは昨年よりBMWのチーフデザイナーに就任。先代のチーフデザイナーとしてシトロエンのデザイン・テイストを思い切り若返らせることに成功したアレクサンドル・マルヴァルは、今やメルセデス・ベンツのニース・デザインセンターの指揮を執る。プレミアム・ブランドからも引く手あまたという状況は、それだけ業界内でひと世代前から現行シトロエンのデザインが高く評価されていた証でもある。

 シトロエンが成功している理由は品質の底上げや、フレンチ・タッチを追求したデザインの良さだけではない。シートに「アドバンストコンフォート」と呼ばれるフカフカで分厚いクッション、さらにサスペンションに「プログレッシブ・ハイドローリック・クッション」という初期減衰が超滑らか&柔らかなダンパー・イン・ダンパー構造を採り入れ、往年のハイドロ車さながらの乗り味を、完コピとはいわないまでも満足できるレベルまで、現代に蘇らせているためでもある。

 ちなみに70年代のシトロエンのGTカー、SMのある日本人オーナーは、北欧で所用があって駅でレンタカーを借りたとき、日本ではディスコンしたC4がSMに近い乗り心地でびっくりしたとか。筆者も現行C3に搭乗したとき、何となくBXに近い乗り味を感じた覚えがある。未だ自分探ししているようなメーカーと違って、「これだ」というテイストというか中心軸が、シトロエンは時代が変わってもまったくブレないのだ。

 あと余談ながら、シトロエンは一昨年に100周年を迎えた。自動車メーカーとして100歳そこそこというのは、老舗ブランドの中では新興勢力だった証。しかも最初期の市販モデルにキャタピラを装着して、アフリカ大陸やユーラシア大陸横断を実現させるなど、いわば最初からクロカンSUVを手がけた……、どころかミリタリー用途のモビリティ・メーカーを志向していた。最初期のシトロエンのエンジニアで元軍人のアドルフ・ケグレッスは、ロシア革命前のロマノフ王家に自動車係として仕え、ロールス・ロイスの前輪に橇(そり)を、後輪にキャタピラをかまして軍用雪上車に改造していたような男だ。今でこそポップで垢ぬけたフレンチ・タッチをウリとしつつも、掘れば掘るほどキケンな匂いのする、ブレない変態メーカーに発展したのは、ある意味、必然だった。

 シトロエンはハマるほどに他社・他車に乗り替えができなくなる、クルマの姿をした別の乗り物。そんな唯一無二のカルトな一台だからこそ、令和の今、何度目かの再ブレイク中なのだ。


南陽一浩 NANYO KAZUHIRO

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