「ここまでやるか」とレーシングドライバーが唖然! 昭和&平成に登場した「本物すぎる」軽自動車とは (2/2ページ)

試乗会場の横にあった崖を登る異例の試乗会

 軽自動車規格が変更され、排気量が660ccとなった平成のヒット作となったのはパジェロミニだ。三菱自動車の看板モデルとして君臨していたRVの代表的モデルである「パジェロ」を小型化。中身も「パジェロの名を冠する以上は手抜きできない」という当時のエンジニア魂が注ぎ込まれた本物だった。

 よく「ジムニーは本格的なオフロード指向、パジェロミニは乗用車の延長」のように紹介されることがあるが、それは正しくもあり、誤りでもある。

 パジェロミニが登場したのは1994年(平成6年)。搭載していたのは4A30型659ccエンジンだが、軽自動車でありながら直列4気筒という贅沢なシリンダーレイアウトが採用されていた。自然吸気のNAモデルとインタークーラー付でツインスクロールのターボチャージャーを装備したハイパワーモデルが用意された。ターボモデルは1気筒あたり5バルブの20バルブツインカムのシリンダーヘッドが奢られていたことも我々を驚かせた。

 このパワーユニットはフロントに縦置き搭載され、5速マニュアルトランスミッションか3速ATを介して通常は後輪を駆動するFRモデルとして走行する。悪路では兄貴分の「パジェロ」譲りのセンタートランスファーをコンソールのレバーを操作してマニュアルで切り替え、前輪にも駆動力を与えて4WDとする。トランスファーには「Hi」&「Lo」の2種類のレシオが選択できて、走行中の切り替えも可能で実用性を高めていた。

 パジェロミニの登場時に開催された試乗会は山梨県の河口湖周辺で行われたが、そこで我々は驚異的な走破性を体験することになった。

 通常の試乗は一般道で行われていたが、悪路走破性を試したいという申し出に対し、当時の広報担当者が提示したのは駐車場横のいわゆる「崖」だった。

 もちろん施設オーナーの許可を得てのことだが、施設側は「どうせ無理」という認識だったようだ。開発担当者が歩いて登坂を試みるが、急勾配過ぎてなかなか登れない。両手で周囲の樹木に捕まり、全身泥だらけになりながら15mほどの高さまで登り、「来い来い」と合図した。

 こちらは半信半疑でパジェロミニで登り始める。トランスファーを4WDの「Lo」に切り替え、大きく取られたアプローチアングルにより、いきなりの急な登坂部でもノーズ下をすることなく登り始めた。落ち葉や泥濘面も露出していて滑りやすかったはずだが、パジェロミニはグイグイと登っていく。大きな切り株を避けたり、岩肌で滑り落ちそうになりながらも、結局頂上まで登れてしまったのだ。試しに比較用として用意されていたパジェロで試そうとしたが、車重の大きなパジェロでは無理なほどだった。

 小型なパジェロミニだからこそ走破できる究極の試験場が、すぐ目の前にあったのだ。

 この臨時特設コースを試した数人のモータージャーナリストは、パジェロミニの本物指向に魅了され、その場で購入を即決した人も現れるほどだった。

 また、パジェロ・ミニの本格指向は車体裏側を見れば伺い知ることができる。

 スズキ・ジムニーはラダーフレーム。パジェロ・ミニはモノコックだから本物ではない、という人がいるが、それは正論とは言えない。パジェロ・ミニはモノコックのフロア部にラダーフレームに相当する骨格構造を取り入れていて「ビルトインラダーフレーム」という新しい技術的革新を果たしていたからだ。モノコックボディにラダーフレームの強度を与えるこの手法もパジェロ譲りであり、現代のクロスカントリー系SUVの多くも採用している。

 リヤサスペンションはリジッドアクスルでコイルスプリングにアッパーとロアーアーム、ラテラルロッドを組み合わせる贅沢な仕様で、そのアーム1本を見ても極めてコストのかかった贅沢な材料と構造でタフネスな造りとなっていた。

 昭和から平成に輝いていたこうした本物指向の軽自動車は、もう二度と現れることはないだろう。


中谷明彦 NAKAYA AKIHIKO

レーシングドライバー/2023-2024日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

中谷明彦
愛車
マツダCX-5 AWD
趣味
海外巡り
好きな有名人
クリント・イーストウッド、ニキ・ラウダ

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