ターボにディスクブレーキにDCT! クルマの最先端技術は「航空機」や「レース」からのお下がりが多かった! (2/3ページ)

ターボチャージャーの普及も飛行機から始まった

 限られたエンジン排気量で出力を引き出すために使われる過給機も、本格的な普及は航空機が原点だった。空気密度が低い高高度を飛ぶレシプロエンジン機にとって、過給機によって吸入気を圧縮し、エンジン出力を確保する技術は死活問題だった。当初は機械式過給機(スーパーチャージャー)も導入されたが、吸入気圧縮の動力をエンジン出力に頼るため損失が大きく、排気流によってコンプレッサーを駆動する効率的に優れたターボチャージーに切り替わっていった。時期的には第2次世界大戦中で軍用機が主体だった。

 こうして航空機で培われたターボチャージャーが、自動車の世界で着目されたのは、やはりモーターレーシングが先だった。排気流を利用するターボチャージャーは、エンジン回転の上下動に対し、ターボユニットの過給追従(回転上昇)が間に合わず、アクセルを踏んでからエンジンが反応するまでにタイムラグ(時間遅れ)が生じ、コントロール性が悪くなる悪癖を持っていた。このためターボチャージャーは、当初、定常的な機関運転が行われる航空機で使われ、ほぼ一定のアクセル開度で走るオーバルトラックレースのインディフォーミュラで導入される足取りを見せていた。

 アクセル開度が頻繁に変化するサーキットレースでターボチャージャーの実用化に取り組んだのがポルシェで、CAN-AM用のポルシェ917ターボで試行錯誤を繰り返しながらシステムを熟成。この技術を市販車に応用したモデルがポルシェ911ターボ(930)だったが、市販化はBMW2002ターボのほうが早かった。日本では1970年代終盤、日産が430セドリック/グロリアで採用を始め、ターボチャージャーを一般的なメカニズムとして普及させる口火となっていた。

 ほかにエンジン関連のメカニズムで言えば、燃料噴射装置も航空機技術からの応用である。ほぼ2次元の動きしかしない自動車では、燃料供給装置はキャブレターで必要十分だったが、3次元の動きをする航空機(とくに戦闘機)では、フロート室の存在が致命的となり、急上昇や背面飛行によって燃料の供給切れが発生。このため、ポンプによって燃料をシリンダー内に圧送供給できる燃料噴射装置を考案、航空機エンジンの燃料供給装置として実用化した。最初に出かけたのはダイムラー・ベンツで、同社のDB600系航空機エンジンがその代表的な例となる。

 この燃料噴射装置を自動車に応用したのもダイムラー・ベンツで、メルセデス・ベンツのレースカー中でも傑作と評されるW196(1955年)がその手始めだった(試験的な例としては1939年のW163も燃料噴射装置を装備)。市販車への装着は1970年代から高性能車で順次展開され、1970年代終盤になると機械式から電子制御式へと代わり、緻密な噴射コントロールが可能となったことから、排ガス浄化や省燃費に対して欠くことのできないメカニズムとして現在にいたっている。

 操作系の動きをいったん電気信号に置き換えて可動部に送り、そこで油圧、モーターなどを作動させるバイ・ワイヤ方式(電制スロットルなど)も、言うまでもなく航空技術からの応用である。飛行機の場合、とくに旅客機のようにパイロットの操作によって可動させる各機能部が人力に余るケースでは、操縦桿やラダーペダルの動きを油圧が増幅し、パワーアシストの考え方で操作系を成立させてきたが、自動操縦(オートパイロット)の進化にともない、操作系に加わるパイロットの動きをすべて電気信号に置き換え、その信号によって可動部に設けられたモーターやアクチュエーターを作動させるフライ・バイ・ワイヤの方式が発達。パイロットによる操作信号も含め、機体各部の情報をすべてコンピュータに入力。そこから各部に必要かつ適切な作動信号を送って機体を飛ばす技術である。

 自動車の場合は、陸上を走ることからドライブ・バイ・ワイヤと呼ばれ、アクセル操作や変速操作を電気信号に置き換え(理論的にはステアリング操作も可能)、実際の動きはモーターや油圧アクチュエーターが行う方式として構築されている。この方式は、すべての動きをコンピュータの制御下におくことで反応速度や精度に優れ、自動運転システムの成立に対して必要不可欠な技術となっている。

 今や標準装備、常識とされるディスクブレーキも、じつは航空機がその発祥となるメカニズムだ。航空機発展の歴史は、言い換えれば高速化への挑戦とも言える足取りだが、飛行速度の高速化にともない、着陸時の速度をどうやって減速させるかも大きな問題となっていた。放熱性(ブレーキの原理は運動エネルギーを熱エネルギーに変換して大気中に放散)に優れるブレーキの装備が必要不可欠となり、高速域からの制動性に優れたディスクブレーキが実用化されるようになった歴史がある。

 自動車への応用は、じつは1949年にクライスラー社が全輪ディスクブレーキを装着したクルマを発表していたが、商業的に成功せず不発に終わっていた。自動車に装着してその性能の高さを示した最初の例が1952年のジャガーCタイプで、翌1953年のル・マン24時間でフェラーリ、メルセデス・ベンツを相手に圧勝。一気にディスクブレーキの存在を印象付けていた。市販車で普及するのは1960年代中盤あたりからで、スポーツタイプ、高性能車のフロントブレーキとして装備されるようになった歴史がある。


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