ホンダはいきなり日本じゃ無くて「世界獲り」を目指してしかも成功! 本田宗一郎氏のぶっとび列伝 (1/2ページ)

ホンダはいきなり日本じゃ無くて「世界獲り」を目指してしかも成功! 本田宗一郎氏のぶっとび列伝

この記事をまとめると

■ホンダは本田宗一郎氏によって創業され、現在の総合モビリティ企業へと成長した

■1954年に「マン島TTレース出場宣言」を発表するなど、チャレンジングな姿勢を見せてきた

■今回は本田宗一郎氏にまつわる逸話を紹介する

株式会社化から5年で世界に挑戦!

 ホンダといえば、戦後、本田宗一郎氏によって創業され、現在の総合モビリティ企業へと成長したという成長ストーリーで知られている。

 あらためてホンダ誕生期を振り返ると、もともと自動車修理工だった本田宗一郎氏が、本田技術研究所を興したのは1946年9月、1947年にホンダ最初の市販品である「A型自転車用補助エンジン」の販売が始まり、1948年9月28日に本田技研工業株式会社が設立されるといった時系列になっている。

 その後、順調に成長したわけではなく、斬新的なスクーター「ジュノオ」をローンチするものの大失敗となってしまうなど、国内でも苦戦が続いていた。そもそもこの時点ではホンダは海外にチャレンジするようなフェイズではなく、国内市場においてもけっしてトップメーカーではなかった。

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ホンダ・ジュノオのフロントスタイリング画像はこちら

 それでも1954年1月に本田技研工業が東京証券取引所に上場するなど企業として着実に成長していった。ところが、本田宗一郎という経営者の頭には「着々と進める」という考えはなかったようだ。

 なんと1954年3月20日に、かの有名な「マン島TTレース出場宣言」が発表されたのだ。

参考(https://www.honda.co.jp/50years-history/limitlessdreams/manttraces/page03.html

 その宣言冒頭にもあるように、本田技研工業は創立から5年余りという若い会社だ。しかも戦後復興の日本において立ち上がったばかりの企業である。そんなホンダが、世界一のモーターサイクルレースといわれる「マン島TT」に出場しようというのだから、あまりにも無謀なチャレンジにしか見えない。

 しかし、本田宗一郎氏の「マン島TTレース出場宣言」を読むと、“リッター当たり100馬力のエンジンを作ることができる”という自信のほどが記されているほか、出場するだけでなく優勝という文字も明記されている。

 はっきり言って企業規模を考えれば無茶な宣言としかいえない内容だった。事実、ホンダがマン島TTレースに参戦するのは1959年のことで、宣言から5年後のことだった。しかも、いきなりホンダが勝てるほど甘いはずもない。初年度は最高位が6位というものだったが、それでもメーカーチーム賞を獲得するなど一定の成果を上げたのはさすがだ。

1959年のマン島TTレース画像はこちら

 驚くのは、2年後の1961年にはマン島TTレースで125ccクラス、250ccクラスにおいて1~5位までを制覇するという偉業を成し遂げたことだ。同時に世界GPにおいてもチャンピオンを獲得している。日本の町工場のような企業だったホンダは、あっという間に世界に名を馳せる名門ブランドとなっていった。

名前:
山本晋也
肩書き:
自動車コラムニスト
現在の愛車:
スズキ・エブリイバン(DA17V・4型)/ホンダCBR1000RR-R FIREBLADE SP(SC82)
趣味:
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