クルマの「チューニング」なんて言葉からは想像もつかない取り組みだらけ! HKSの挑戦が偉大すぎて驚く (2/2ページ)

コンプリートカーまで作って販売していた!

 そして、1989年にスカイラインGT-R(R32)がデビューすると、ゼロヨン、最高速、サーキットのラップタイムと、チューニングカーのあらゆるレコードが塗り替えられていった。

 そうしたなか、HKSは「270km/hオーバーでの、巡航性能、快適性、保安基準適合」をテーマにした、コンプリートカー「ZERO-R」を発表、発売(1991年に10台限定で1600万円にて販売)。

 また、ドラッグレースでは、7M-Gツインターボの「HKS DRAG 70 SUPRA」で、「8秒の壁」の壁を見事破り、7秒91の大記録を打ち立てた。

 翌1992年には、人気絶頂のグループAレースにR32GT-Rで参戦。エンジンもワークス(日産工機)に頼らず、独自のメンテナンスで1993年のSUGOで殊勲の1勝を挙げている。

 また同年、幻のF1エンジンHKS300Eも発表。これは、究極のエンジンをゼロから造るという創業者長谷川浩之の夢を体現させたユニットで、当時のF1レギュレーションに合致する、NA3500cc、V12気筒。5バルブで650馬力以上のスペックを誇った。12月に富士スピードウェイで公開テストを行い、「ホンダ、ヤマハ、無限、スバルに続く、国産5番目のF1エンジン」と話題になった。

 そのほか、日本証券業協会に株式を店頭登録したり(2004年、日本証券業協会への店頭登録を取消し、ジャスダック証券取引所に株式を上場)、航空機用エンジンとしてULP(ウルトラライトプレーン)エンジン「A700E」を開発・発売したり、JTCCやD1に参戦、自社開発のスーパーチャージャーをリリース、マリンジェット用スーパーチャージャーの供給を開始、エンジンの燃料をガソリンと圧縮天然ガス(CNG)とで切り替えて走ることができるバイフューエルコンバージョンキットを発売と、つねにチューニング業界をリードしてきたHKS。

 自動車業界を取り巻く環境は、カーボンニュートラルなどいろいろ厳しい課題が山積みとなっているが、これから先も時代の変化に合せつつ、クルマの魅力、未来のチューニングに真正面から向き合っていくのが、チューニング業界のリーディングカンパニー、HKSの役割になるに違いない。


藤田竜太 FUJITA RYUTA

モータリングライター

愛車
日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)
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