この記事をまとめると
■パノスはモータースポーツ志向の高級スポーツカーメーカーとして1989年に設立
■異様なロングノーズで知られるGTR-1はフロントミッドシップV8を搭載
■ハイブリッド化も先駆けて導入しル・マンで高評価を獲得した実績をもつ
知られざるアメリカ魂のスーパースポーツ
パノス、正確にはパノス・オート・デベロップメント・カンパニーと呼ばれる会社の名前を聞いたことがある人はどれだけいるだろうか。
“America’s Most Exclusive Custom Sports Car”をコンセプトに1989年にアメリカのジョージア州に設立されたこの会社の創立者は、かつてIMSAで会長職を務めたことでも知られるドン・パノスの子息であるダニエル・パノス。彼らがその活動の基軸としたのは、当然のことながらモータースポーツへの参戦であり、また高級なスポーツカーの生産だった。
ここで紹介する「パノス・エスペランテ」は、彼らが1990年代に開発したスポーツカーだ。もちろんその先にはレース参戦のためのホモロゲーションを満たすことが計画として掲げられており、実際に「GTR-1」と呼ばれるレース仕様が1997年シーズンに向けて開発された。
パノス・エスペランテのレーシングカーとロードバージョン画像はこちら
ちなみに、ロード仕様のエスペランテとレース仕様として製作されたGTR-1にメカニズム的に共通する部分はなかったが、極端なロングノーズ・ショートデッキ型のスタイルを継承することなどで公認を得るため、ロード仕様のエスペランテGTR-1は2台が製作された記録が残る。
パノス・エスペランテのフロントスタイリング画像はこちら
エスペランテGTR-1の技術的な特徴は、すでにレースの世界では常識となりつつあったエンジンのミッドシップ搭載に反して、アメリカンデザインの象徴ともいうべきフロントエンジンの基本設計を採用したことにあった。
例の異様なまでに長いノーズは、搭載されたフォード製V型8気筒エンジンをベースとした6リッターV型8気筒をフロントミッドシップするための策で、独特なフロントセクションの造形などから、それは現代に復活したバットモービルともたとえられることも多かった。
パノス・エスペランテのエンジンルーム画像はこちら
1998年にはエアロダイナミクスをさらに向上させるため、前後オーバーハングをさらに拡大。当時のGT1カテゴリーのなかで、その姿はますます特徴的なものになっていった。
1997年のル・マン24時間レースに3台がエントリーされたパノス・エスペランテGTR-1は、残念ながらそのすべてがリタイヤという結果に終わるが、翌1998年にはそのなかの1台が総合で7位に入賞。パフォーマンスの高さ、そして耐久力の高さを改めて世界に見せつけた。
ちなみに、この1998年にはパノスからハイブリッド仕様のQ9ハイブリッドもル・マンに投入されているが、こちらはガソリンエンジンとエレクトリックモーターの組み合わせによるパラレルハイブリッド仕様。現在のWECは周知のとおりハイブリッドカーが全盛を極める時代だが、それよりもはるか前に、パノスはそのシステムを自社のレーシングマシンに採り入れていたのである。
パノス・エスペランテGT1ハイブリッド画像はこちら
ロード仕様のエスペランテGTR-1は、レースカーとロードカーに大きな違いがあってはならないという当時のあいまいなGT1レギュレーションを正すかのように、そのなかの1台はレース用の6リッターV型8気筒エンジンの代わりに5.3リッターV型8気筒エンジンを搭載して完成された。これはもちろん合法的にアメリカで登録できる仕様で、ドン・パノス自身がそれを所有したと伝えられている。
限りなくレアな存在ともいえるアメリカンスーパースポーツ、パノスGTR-1。だがそれは、なによりも強いアメリカンスピリットが込められた1台にほかならないのだ。