さすがに令和だし……と思ったらまだ生き残ってる! 中国名物「パクリカー」は健在だった (1/2ページ)

この記事をまとめると

■かつて中国のモーターショーでは日本車や欧州車を真似たコピー車が数多く出展されていた

■上海モーターショー2025でも数多くのコピー車を見かけた

■日本で人気の高い日本車のコンセプトであれば中国でも通用すると考えられているようだ

いまだ中国のモーターショーにはコピー車の出展が数多い

 その昔、中国のオートショーといえば日本車ベースが多く、コピー車(パクリ)ばかりで「万国ビックリショー」のようになっていた。民放の夕方のニュースショーや、ワイドショーではこぞってそのコピーぶりを楽しく報じていた。聞いた限りでは本物の日本車の設計データをどこかから手に入れて製造していたとの話もあるので、それは似ていて当たり前というもの。

 当時から日本メーカーのエンジニアのヘッドハンティングは盛んに行われていた。収入面の金額が破格なだけでなく、転職して在職している間はタワーマンションにメイドさん、ハイヤーなどがつき、金銭面以外の待遇も破格なものとなっていたようだ。中国で聞いた話ではそんな夢の転職生活に憧れたある日系メーカーの現地駐在エンジニアが、自社車両の設計データをもって就活していたなどという話も聞いたことがある。

 そもそも設計データのもち出しとなると大ごとになるが、転職してエンジニア個々の頭のなかにあるものをアウトプットして車両開発に使うということはよくあったようだ。数年もすればアウトプットするネタも枯渇するので、転職するほうも短期勝負(短期間でお役御免になる)で新天地に移動していたようだ。

 データやエンジニアの入手ができなくとも、ショーに展示してある日本車などを3Dスキャンするという手法もコピー車あるあるで、筆者も欧米など場所を選ばずに熱心に会場で3Dスキャンしている人物を目にしたことがある。

 なぜ積極的にコピーしていたかというと、当時の中国メーカーの幹部はまさに中国がコテコテの共産主義の時代から成りあがったひとがほとんどで、海外駐在経験なども乏しいひとが多いので、単純に欧米や日本の有名なモデルとそっくりな車両を作ればいいじゃないかということだったようだ。独自のコンセプトを打ち出して開発するよりも「欧米の人気車をパクれば売れるだろう」みたいな結論になっていたようだ。

 そこから時代は流れ、企業幹部も欧米や日本への留学経験も豊富になり、英語をはじめ語学堪能な世代へと時代は移り変わり、また欧米や日本から積極的にエンジニアを招聘し、独自の開発能力を高めることで、中国メーカーは20年ほどで世界的にも注目される中国系ブランドがいくつも現れるようになったのである。


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小林敦志 ATSUSHI KOBAYASHI

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渡 哲也(団長)、石原裕次郎(課長) ※故人となりますがいまも大ファンです(西部警察の聖地巡りもひとりで楽しんでおります)

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