復活後も往年のテイストを受け継ぐ
1978年に経営から退く際、ジャン・レデレは最低15年間、ルノーが工場の雇用を守ることを条件にした。それが経過した1993年からほどなくして、A610の生産が終わり、アルピーヌの名は一時的に消滅した。時のルノー会長、ルイ・シュヴァイツェルが当時、アルピーヌよりもルノースポールの名を採る判断を下したと言われる。20数年後のルカ・デ・メオ現社長の判断とまったく逆コースだったわけだ。
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その直後からミッドシップのルノースポール・スピダー、クリオV6、一連のメガーヌR.S.に代表されるホットハッチが、一時代を築き上げたことは記憶に新しい。そして、クリオ(ルーテシア)3やトゥインゴ2、そしてルノー・ウインドでは、ゴルディーニを名乗る少しレトロな仕着せのスポーツバージョンも用意された。
いわばブランド名として消えている間も、ゴルディーニとアルピーヌの人材やノウハウはルノースポールのもとに存続し、実質的に生きていたということになる。初代トゥインゴのプロジェクトでとくに引き算を進めたのは、元アルピーヌのレーシングチーム監督でルノーのプロダクト責任者に転じていたジャック・シェイニスだった。
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また、自然吸気V10エンジンでウィリアムズ・ルノーの黄金時代を築いたベルナール・デュドは、元はアルピーヌのエンジニアでヴィリー・シャティヨンに配属され、RS01やA442Bに積まれたゴルディーニV6のターボ化した張本人だ。
さらにエルフ・モトやプジョー905、次いでトヨタGT-OneことTS020を設計したアンドレ・ドゥ・コルタンツもアルピーヌ出身だったりする。
アルピーヌはよく、2012年にカルロス・タヴァレスが主導したベンチャープロジェクトをカルロス・ゴーンが承認して、2017年に現A110で市販車として突然復活したブランドのように思われがち。だが、ゴルディーニとアルピーヌのノウハウは、F1のエンジンサプライヤーやホットハッチに姿を変え、連綿と存続し、受け継がれてきたといえる。
社内だけでなく、たとえば往年のアルピーヌ市販車の外装色は、一部のエンスージャストが記録をつけていたからこそ再現可能になったもので、「ヘリテージ・カラー」の呼称でアトリエ・アルピーヌのなかに息づいている。
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じゃあどうして、アルピーヌF1はメルセデスAMGからエンジンを買うワケ? という疑問が頭をもたげるはずだが、ヴィリー・シャティヨン製のエンジンはどうやらWECで活かされる模様。ある意味、1960年代のゴルディーニーアルピーヌ体制に近い回帰現象ともいえるのだが、「進化していることを信じろ!」とでもいいたげな矛盾だらけのスリリングな展開は、フレンチ・コンストラクターの十八番でもあるのだ。