日産の顔とも言える追浜工場におけるクルマの製造終了を決定! 日産の未来を守るために苦渋の決断を下した理由 (2/2ページ)

終えるのはクルマの生産だけ

 しかし、工場を移管するのはそう簡単なことではない。とくに、そこで仕事をしている従業員やサプライヤーたちの雇用を守るのは企業の使命だ。

 エスピノーサ氏は、会見中に何度も、「今回の判断は非常に大きな決断であった。やはり1番の課題は雇用の面だ。そこにいる従業員と家族を我々は守らなければならない。なので、2027年の移管へ向けて、従業員や労働組合とは密に連携し、それぞれの従業員にとってベストな答えが出るよう、とにかく最善を尽くしたい」と、社員たちへの想いを会見中に何度も語った。

 実際、追浜工場は2400人以上の従業員を抱えている。そして、それらの従業員にはもちろん家庭がある。神奈川から九州への転勤となれば、その労力は計り知れない。もっともケアしたい部分であると語るのもごもっとも。

 そのほか、クルマ作りを支えるサプライヤーや追浜周辺との関係についても相談し、最善の答えを模索していくそうだ。

 生産ラインなどの跡地については今後、売却するのかどこかの企業に譲渡するのか、そのまま持っておくのか、さまざまな可能性を検討中とのことで、この場での答えは明らかにされなかった。他社モデルの委託生産などで使うことは検討してないとした。確定したのは、「もう追浜では日産車を作らない」ということだけ。

 ちなみに、追浜工場内には、研究施設や開発試験を行う施設、そして我々自動車メディアではお馴染みの試験コースであるグランドライブも併設されているが、そちらはいままで通り稼働するとのことで、あくまでクルマの製造を終え、九州に移管するだけとのこと。

 日産は、これにて国内における生産拠点の整理、統合は以上とし、こほかの変更などはないとエスピノーサ氏は宣言している。このタイミングで発表したのは、「日産に対するさまざまな憶測が世の中を飛び交っている。これ以上の混乱は従業員や現場にも迷惑がかかる。なのでいま、追浜の今後について発表した」と語った。

 エスピノーサ氏は、「今回の発表は非常に苦しい決断であった。しかし、日産を守り、持続可能な未来を歩んでいく以上、避けて通れない課題であったのも事実。いままで追浜を支えてきてくれた従業員、サプライヤー、地域の人たちに敬意を表したい。追浜で作られたクルマたちは我々の誇りだ。追浜でのクルマ作りは終えるが、追浜工場が消えるわけではないので、引き続き高品質な日産車を作り続けていきたい」と我々に残した。

 60年以上続いた追浜工場での操業も残すところ1年半ほどとなったいま、新たな日産のストーリーが始まろうとしている。


この記事の画像ギャラリー

WEB CARTOP 井上悠大 INOUE YUTAI

編集者

愛車
ホンダ・シビックタイプR(EK9)/スズキ・ジムニー(JA11)
趣味
写真/ドライブ/サーキット走行/クルマ弄り/スノーボード/ダーツ/自転車/その他多数
好きな有名人
大泉 洋/織田裕二/篠原みなみ

新着情報