日産の「追浜ではクルマを作らない」に悲観の声続々! ただし追浜から完全撤退ではないってどういうこと? (2/2ページ)

追浜が生まれ変わる可能性もある

 そんな歴史と伝統にあふれた追浜が、車両生産を終えてしまうのは納得しがたいという日産ファンも多いかもしれないが、歴史と伝統がある工場ゆえに閉じる判断ができたともいえる。

 いくらマザー工場として、最新の生産技術を投入していたとはいえ、カーボンニュートラルや新世代EVの生産をするには、いろいろレガシー的要素(古い仕組みなど)をクリアしなければならないだろう。国内の工場をどれか閉鎖するのであれば、もっとも古い追浜を閉じるというのは、当然の結論ともいえる。

 ただし、筆者は追浜工場がこれで終わってしまうと単純に捉えるべきではないとも思っている。

 追浜のテストコースが、2007年に「GRANDRIVE(グランドライブ)」として再整備されたように、追浜の車両生産工場はゼロベースで生まれ変わる可能性はゼロではないと期待したいからだ。

 実際、1971年に完成車工場として操業を開始した栃木工場は、2021年に「ニッサンインテリジェントファクトリー」となり、アリアの生産を開始。次期リーフも同じく栃木工場で作られることは発表済みだ。

 栃木の「ニッサンインテリジェントファクトリー」は、カーボンニュートラル生産の実現に向けて塗装工程でのCO2排出量を大幅削減するといった生産技術も実現しているし、「人とロボットの共生」をテーマに生産のオートメーション化も進めている。

 追浜工場における車両生産終了の発表において、『総合研究所やGRANDRIVE、衝突試験場、追浜専用ふ頭など、そのほかのすべての機能については、今後も変更なく事業を継続』していくとアナウンスされている。

 つまり、日産は追浜から完全撤退するわけではない。

 日産の経営再建という視点からみれば、工場跡地を高値で売却することが有効なのは当然だが、研究所と隣接する土地の活用についてもおのずと制限が出てくることだろう。

 個人的には、ノート、ノートオーラ、キックスといった車両生産については九州へ移管するのは確定として、追浜工場の跡地をEV専用ファクトリーとして再生してほしいと思う。

「ギガキャスト」と呼ばれる大規模高圧アルミ鋳造やフルオートメーション化を進めた無人のロボット生産ラインなど、まさに未来の自動車工場をゼロベースで作り上げる好機とすることで、現在の逆境を乗り越えてほしいと切に願う。


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山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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