ロータスの魅力が凝縮されたエスプリは今なおファン多し! 最後は紛れもないスーパースポーツへと進化を遂げたその歴史を辿る (1/2ページ)

この記事をまとめると

■ロータス・エスプリはジウジアーロのデザインで優れたCd値を誇った

■2代目は4世代にわたって進化を続けた

■最終モデルはV8エンジンを搭載し高い評価を得ていた

コーリン・チャップマンの熱烈アプローチで誕生

 かのジョルジョット・ジウジアーロによる、シンプルデザインの極みともいえるボディを得て、ロータスからミッドシップスポーツの「エスプリ」が発表されたのは、1975年に開催されたパリ・サロンでのことだった。

 実際に「M70」の社内コードを掲げて、このエスプリの開発がスタートしたのは1971年のこと。それは同年のジュネーブ・ショーで、ジョルジョット・ジウジアーロがロータスの創業者であるコーリン・チャップマンにコラボレーションをもちかけたことを発端としていた。当時、ヨーロッパの後継車を求めていたロータスにとって、このジウジアーロからの提案はとても魅力的なものだったはずだ。

 1976年にセールスがスタートしたエスプリは、すぐに世界のカーエンスージアストから熱い視線を注がれる存在となった。ちなみにロータスは、プロトタイプの開発時から直列4気筒とV型8気筒という2種類のエンジンをエスプリに搭載する計画だったが、1974年になって後者の計画はキャンセル。2リッターの直列4気筒DOHCエンジンを搭載するモデルのみが市場へと投入されることになった。

 このエンジンはロータスの完全自社開発によるもので、最高出力は162馬力。最高速は198km/h、0-96km/h加速は8.4秒と公称されたが、それは2リッタークラスのスポーツカーとしては十分な説得力をもつデータだった。

 そして、エスプリがスポーツカー市場で熱烈に歓迎された大きな理由は、やはりジウジアーロが描き出した端正で未来的な趣をももつボディデザインにこそあった。鋭いエッジを強調したそのスタイルは、同時にCd値で0.34という優秀な空力特性を実現したもので、エスプリが見かけだけのスポーツカーではないことを証明していた。

 もうひとつ見逃してはならない数字が、発表当時にはじつに898kgと発表されていた車重だ。そうエスプリというモデルには、ロータス伝統のライトウエイトスポーツのコンセプトが確実に継承されていたのだ。


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山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

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