ロータスの魅力が凝縮されたエスプリは今なおファン多し! 最後は紛れもないスーパースポーツへと進化を遂げたその歴史を辿る (2/2ページ)

2代目でエスプリをスーパースポーツの域へ引き上げる

 そのエスプリに大きな転機が訪れたのは1980年のジュネーブショーでのこと。ロータスはこのショーで、エスプリの高性能仕様となる「ターボ」を発表。それにさかのぼって、1978年に登場していたマイナーチェンジ版の「S2」では、ミッドの直列4気筒エンジンには新たに2173ccの排気量が設定されるに至っていたが、それにターボを組み合わせることで得られた210馬力の最高出力は、エスプリを新たにスーパースポーツとして意識させることになる。

 そして、エスプリの進化はその後も積極的に続けられていく。1983年にはターボのシャシーを流用したS2の進化型、「S3」が誕生。それはジウジアーロのオリジナルデザインをもつ最後のエスプリとなった。1987年のロンドンモーターショーで発表された「HC」と「ターボHC」(HCとはハイコンプレッションの意である)では、ロータスのピーター・スティーブンスの手によるニューシェイプボディが採用されたからだ。

 さらに、1993年のジュネーブ・ショーが世界初公開の舞台となった「S4」では、そのデザインはニューシェイプ2へと進化。エクステリアから受ける印象はさらに洗練されたものとなっている。

 最終的に2004年まで生産が継続されるエスプリだが、ロータスは1996年、かつて一度は断念したV型8気筒仕様の「V8」を市場に投入するに至っている。3506ccの排気量をもつV型8気筒ツインターボエンジンは350馬力という魅力的な最高出力を発揮。エスプリのスーパースポーツとしての評価が、このV8の登場によってさらに高まったことはいうまでもないところだ。

 ほかにも、そのヒストリーのなかでさまざまなモデルが生み出されたエスプリ。ロータスにとってそれは、まさに歴史的な成功作にほかならなかったのだ。もちろんその存在は、現在でもなお多くのエンスージアストの目を魅了してやまない。


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山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

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