この記事をまとめると
■日本のクルマの歴史において転換点のひとつに1970年代後半のスーパーカーブームがある
■ホンモノのスーパーカーを手に入れることができたのは限られたごく一部の大人だけだった
■当時の日本で販売されていた「スーパーカー」に属しているクルマの販売価格をまとめた
カウンタックや512BBなどのスーパーカーって当時はおいくら?
間違いなく、日本のクルマの歴史において転換点のひとつといえるできごと、それが1970年代後半に起こった「スーパーカーブーム」でした。多くの子どもたちを熱狂させ、幼少期に強烈なインパクトを残したスーパーカーブーム。当時の記憶が忘れられず、大人になって憧れを現実にした人もいます。しかし、当時のスーパーカーブームは多くの日本人にとって、「未知との遭遇」でもあったのです。
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当時のスーパーカーはいくらくらいで売られていたのか。どんな人が手に入れていたのか。ちょっと振り返ってみましょう。
スーパーカーブームの主役は「子どもたち」だった
スーパーカーブームの主役……。数々のスーパーカーであることはいうまでもありませんが、そのクルマを追いかけた日本各地の子どもたちこそが、ブームの主役だったといえます。
カメラ片手に街中を駆けめぐり、子どもたちの聖地といえる「シーサイドモータース」の前でカメラを構え、スーパーカーショーでずらりと並んだスーパーカーに鼻血が出るほど興奮したり。
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はたまた数少ない学校もち込み公認(?)のグッズであるスーパーカー消しゴムをBOXYのボールペンではじいて遊んだり、スーパーカーの図鑑やメンコ、ジュースの王冠などなど……。休み時間に「どのスーパーカーが最強か」をクラスの男子たちと延々と議論したり(大人になってもやってることは同じ?)。
50年近い年月が経ったいまでもこうして語り継がれるくらいですから、そのインパクトたるやいかに強烈だったかを改めて実感させられます。
当時のスーパーカーはどんな人が手に入れていたのか
しかし、子どもたちがどんなに騒いでも、ホンモノのスーパーカーを手に入れることは不可能。手に入れることができたのは、限られたごく一部の大人だけ。
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いまでこそ、スーパーカーといえばクルマ好きでなくても「速くて平べったいとにかくすごいクルマ」くらいのことは認識されています。しかし、当時は新たなジャンルとして、日本で認知拡大されはじめた「スーパーカー黎明期」ともいえる時代。さらにはローン(当時は月賦なんていわれていましたが)を組んでスーパーカーを買うなんて時代ではありません。ニコニコ現金払いです。
子どもにねだられて「よっしゃ、いまからカウンタックを買いに行くぞ」と、気前よくポンと買える家庭がどれくらいあったのか……。相当な材料と胆力、そして好奇心をもち合わせていなければ手も足も出ない存在だったのです。
1000万円単位の現金をポンと払えて、なおかつ決して実用的とはいえないド派手なクルマ(しかも、ひとたび街中に出れば子どもから追いかけまわされる)を買おうと考える人自体が、いまとは比べものにならないほど少数だったことはいうまでもありません。さらには、AT(または2ペダルMT)もなければ、パワステもありません。高性能であったとしても、実用車にはなりえない。こんな不便なクルマをわざわざ大枚をはたいて手に入れるのですから、よほど好きでなければ買おうとすら思わないのも無理のない話といえます。
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また、「スーパーカー黎明期」ということは、メンテナンスやトラブルシューティングに関しても同様です。何しろゼロベースからひとつずつノウハウを積み上げていった時代。故障したり、クラッチ交換やエンジン不具合の修理など、1年の半分は工場に入庫したまま……なんてことがままあったわけです。いま以上に「好きでなければ乗れないクルマ」「忍耐がいるクルマ」であったことは確かです。まさに、先人たちのおかげでいまがあるんですよね。