「大阪にある発動機製造株式会社」でダイハツ
最初の本社は、大阪駅北側約500メートルだった。最初に着手したのは6馬力の吸入ガス発動機、そのあとは馬力を50馬力まで引き上げたモデルも量産し、船舶用などで売上を一気に伸ばした。その後、第一次世界大戦での欧州向け軍需や国内鉄道用の機器などを経て、小型ディーゼルエンジンを皮切りに中型・大型へとディーゼルエンジン事業を拡大させていく。また、昭和初期には陸軍からの要請で四輪駆動式小型自動車や、自社での試作車として小型四輪トラックの研究開発も進めた。
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その後、昭和13年に三輪自動車の製造拠点として現在の本社工場である池田市に大規模な工場を構える。第二次世界大戦後、三輪自動車の製造を再開し、合わせてディーゼルエンジンの製造も政調を続けた。そして昭和26年(1951年)12月に、社名をダイハツ工業株式会社に変更した。それまでユーザーからは「大阪にある発動機製造株式会社」ということから「ダイハツ」と略称で呼ばれることが多く、商品名としてダイハツを活用することがあった。
社名がダイハツとなってからは「ミゼット」など高度成長期での軽自動車のヒットを受けて、乗用車市場にも参入していく。
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そして昭和42年(1967年)11月9日、トヨタグループとの連携関係を結び、同グループでの軽自動車などスモールカーの生産を支えることになる。平成10年(1998年)8月には、ダイハツはトヨタの完全子会社化され両社の関係はさらに強いものになり、現在に至っている。
以上、ダイハツ工業100年史をもとに、ダイハツの歴史を振り返ってみた。