日野自動車と三菱ふそうがようやく経営統合! トラックファンが気になる「それぞれのブランドはどうなる?」問題 (2/2ページ)

リコール隠し問題を乗り越えた三菱ふそう

 三菱ふそうはその社名のとおり旧財閥の三菱から生まれたトラックメーカー。前述したとおりダイムラー傘下だが、現在も三菱グループ各社と資本関係を維持している。1917年に設立された三菱造船がルーツで、その翌年には「三菱A型自動車」を開発。

「ふそう」の名は1932年に神戸造船所で完成した「B46型ガソリンバス」の愛称で、日本の別称「扶桑」に由来する。1934年に三菱重工業に社名変更。その後、敗戦時の財閥解体により3社に分割され、1950年に東日本重工業と改称。1952年に三菱の名が復活して三菱日本重工業に改称。1964年に解体されていた3社がふたたび合併し三菱重工業となった。

 そして1970年に三菱自動車工業として独立し、1963年には小型車キャンターの初代モデル・T720型を発売。1973年には映画『トラック野郎』の一番星号として名高い大型トラック、Fシリーズをリリースする。2000年には三菱自動車のブランド力を大きく低下させたリコール隠しが発覚するが、トラック・バス部門は販売面での影響を受けず、国内市場のトップシェアをキープしていた。

 2003年に三菱自動車工業からトラック・バス部門と産業エンジン部門の一部を分社化し、三菱ふそうトラック・バスとして独立。このときの株主構成比率はダイムラー・クライスラーが43%、三菱自動車が42%、三菱グループ各社が15%と、ダイムラーグループの資本が多く投入されることとなった。

 2004年には再びリコール隠し事件が発生。トラックの車輪脱落による死亡事故が問題となった。翌2005年にはダイムラー資本が85%、三菱グループ各社が15%となり、ダイムラー・クライスラーの連結子会社となった。2度にわたるリコール隠しといった危機的状況を乗り越え、2009年には前年の世界販売台数が19万7000台を突破し、過去最高値を記録するなど、トラック・バスメーカーのトップブランドをいまなお維持し続けている。

 2020年にいすゞ自動車がボルボからUDトラックスを買収、UDは同社傘下に収まることになったが、日野と三菱ふそうとの経営統合は資本関係での力関係の差はあるものの、新たな持株会社を頂点に置いた2社協業という体制。「国産トラックメーカーが4社から2社になっちゃうの!?」と危惧するトラックファンもいるだろうが、それは杞憂と解釈していいだろう。4ブランドとも技術共有や車両のOEM供給はあるかもしれないが、今後とも発展しつづけ、メイド・イン・ジャパンの高性能トラックを世界中に供給してゆくことだろう。


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