この記事をまとめると
■コルベットには現行C8以前にもミッドシップ計画が存在した
■コードネームXP-882「エアロベット」はロータリーエンジンを搭載していた
■オイルショックと経営判断で市販化はならず幻に終わった
半世紀以上前からあったミッドシップ・コルベット
ディープなコルベットファンなら、2020年に発売されたC8がミッドシップだったことに「やっとかよ!」と嘆息したかもしれません。じつは50年以上前からコルベットにはミッドシップ計画が存在し、なんとロータリーエンジンを搭載するプランまであったのです。さまざまなハードルによって、ミッドシップ計画はC8までおあずけとなってしまったのですが、現代の目で見ても、ミッドシップ「エアロベット」のカッコよさにはため息しか漏れません。
1960年代に入ると、ミッドシップスポーツカーがぼちぼちと発売され始めました。筆頭は、もちろんランボルギーニ・ミウラであり、フォロワーは雨後の竹の子状態だったこと、ご存じのとおり。もちろんGMでもスポーツカーディヴィジョンがミッドシップモデルを見逃すわけもなく、チーフエンジニアのゾーラ・ダントフ(コルベットの父とも称されるベルギー生まれのエンジニア)がV8スモールブロックをミッドに縦置きしたマシンを開発しています。
GM CERV I のフロントスタイリング画像はこちら
が、これはCERV(コルベット・エクスペリメンタル・リサーチ・ヴィークル)と称したまったくの研究車両。保安部品や居住性などを度外視したレーシングカーと呼んでもいいでしょう。ちなみに、第2世代CERVは当時イケイケだったフォードGT40に対抗してレースエントリーも見込まれたほどでしたが、ジョン・デロリアン(いうまでもなく後にデロリアン・カーズを創立した人物。当時はGMのディビジョンマネージャーという重役でした)によって中止されています。
第2世代CERVのテスト風景画像はこちら
とはいえ、CERVで培われたミッドシップに関わる技術は、XPと呼ばれる市販車のプロトタイプへと継承されました。そこで、最初に生まれたミッドシップコンセプトカーはXP-880(通称アストロII)として、1968年のニューヨーク自動車ショーに出品。ですが、コルベットのバッジはどこにも付いていませんでした。これまた、コルベットの伝説的デザイナー、ラリー・シノダによる流麗(かつディノ246によく似た)なアルミボディをまとっているにもかかわらず、どういうわけかGMはコルベットを名乗りたくなかった模様。
シボレーXP-880のフロントスタイリング画像はこちら
じつはデロリアンが、「ミッドシップスポーツカーはさほど売り上げにならない」と判断した結果のようですが、その考えはすぐさま覆されました。というのも、ミウラに加えフォードがデ・トマソ・パンテーラを自社ディーラーで販売することや、AMCやメルセデス・ベンツ、果てはBMWまでもがミッドシップスポーツカーの販売を計画していることを知ったからにほかなりません。