オークションじゃ数十億円の値が付くフェラーリ! 究極とも言われる「250GTO」とは (1/2ページ)

この記事をまとめると

フェラーリが国際マニファクチャラーズ選手権のために開発したモデルが250GTOだ

■1962年から1964年までの間に39台の250GTOが製作された

■250GTOはまさに究極のクラシック・フェラーリにほかならない

モータースポーツを背景に誕生したフェラーリ250GTO

 数あるクラシック・フェラーリのなかでもっとも高いバリューをもつ一台といえば、多くのエンスージアストがその名前をあげるのは、やはり「250GTO」ということになるのだろう。

 ちなみに250GTOとは気筒あたり250cc、すなわち3リッターの排気量を持つV型12気筒エンジンを搭載する「グラン・ツーリスモ・オモロガート」の意で、これは当時の国際自動車連盟(FIA)によるオモロガート、すなわち公認を得たGTカーであることを示している。そう、250GTOが誕生した背景にはモータースポーツがあったのだ。

 ことの始まりは、FIAがそれまでのスポーツカー選手権を1962年から国際マニファクチャラーズ選手権と改称し、そのチャンピオンシップへの参戦マシンに、連続した12か月間に100台以上の生産をすることを義務付ける決定を下したことにあった。

 これに勝利するためにフェラーリが1961年から開発を進めたのが、のちに250GTOとなるモデルだったのだが、それはこれまでフェラーリがスポーツカー選手権へと投じていた「250GT SWB(ショートホイールベース)のエボリューションモデルという、いささか強引ともいえる手法で公認を得たモデルだった。

 1962年2月にマラネロのフェラーリ本社で発表された250GTOは、その翌月末には早くもセブリング12時間レースに登場。ここで早くもGTクラスにおける優勝を飾ってしまう。

 250GTOはその後もレースでさまざまな勝利を収め、ワークスチームはもちろんのこと、プライベーターからも多くのオーダーがフェラーリのもとに寄せられた。結果的にフェラーリは、1964年までの間に39台の250GTOを製作するのだが、もちろんそのすべてが同じ仕様であったわけではない。

 もっとも大きな変更があったのは1964年シーズンのために開発された「シリーズ2」、もしくは「250GTO 64」とも呼ばれるモデルで、これには1963年に発表されたミッドシップの新型レーシングマシン「250LM」にも似た新たなボディが組み合わされた。


この記事の画像ギャラリー

山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

愛車
フォルクスワーゲン・ポロ
趣味
突然思いついて出かける「乗り鉄」
好きな有名人
蛯原友里

新着情報