ロータス・エトナが世に出なかったのが悔やまれる! 幻に終わったエスプリの後継車計画とは (2/2ページ)

オークションによって市場に解き放たれた

 バーミンガムでエトナが発表されたとき、ロータスはF1マシンのために開発が進められていた、アクティブサスペンションシステムを始め、ABS、ノイズキャンセリングシステムなどの採用も予告していたが、残念ながらエトナの生産化は実現することはなかった。

 理由として、1970年代終盤のオイルショックによって高級で高性能なモデルの販売が世界的に低迷したことに始まり、1982年には創始者であるコーリン・チャップマンが死去。社内的な混乱が続くなかで、ロータスは1986年にはアメリカのGMに買収され、そのGMによってエトナ、そしてタイプ909エンジンの開発プロジェクトを凍結する決定が下されたからだ。

 このロータス・エトナの存在が久々にクローズアップされたのは1998年のことだった。この年にロータスからオークションに出品され売却されたエトナは、何人かのコレクターの手を経たのちに、2004年にはチャップマンと長く師弟関係にあったオラフ・グラシウス氏のコレクションへと収まり、このときに彼はそれを走行可能なコンディションへとレストアすることを決断する。

 そして、タイプ909エンジンの再生を始め、エスプリ用のサスペンションシステムを流用するなど、約1年という時間をかけて復元されたエトナは、2006年にイギリスのドニントンパークで行われたロータス・フェスティバルで走行シーンを披露した。

 グラシウス氏はこのエトナを、2012年にグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピートで開催されたオークションで、ほかのコレクションとともに売却。2015年以降は南カリフォルニアに在住するコレクターの所有となっていたが、先日アメリカでブロードアロー・オークションが開催した「モントレー・ジェット・センター・オークション」にそれが出品されることになった。

 ブロードアロー・オークションは、そのコンディションはもちろん歴史的な価値を高く評価し、25万~40万ドル(約3680万~5887万円)というワイドな予想落札価格を提示したが、実際の落札価格は22万4000ドル(約3297万円)という数字を記録するにとどまっている。

 果たしてロータスが、このエトナをプロダクションモデルとすることができていたのならば、彼らの歴史はどのように変わっただろうか。それに思いを馳せるロータスの、そしてスポーツカーのファンはきっと多いに違いない。


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山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

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