ホンダNSXの完成度にビビったフェラーリが作った名車! 結果メガヒット作になった「F355」ってどんなクルマ? (2/2ページ)

フェラーリで初めて1万台以上を売り上げたモデルとなった

 ところで、フェラーリのミッションは温まるまでは非常に渋いことで有名でした。これを解決したのもF355のエンジン設計を担ったパオロ・マルティネッリの功績といえるでしょう。彼はF1のエンジン開発において、熱制御を徹底した知見から、F355のミッションケースに熱交換器を装備して始動してすぐにミッションオイルが温まる機構を取り入れています。

 もっとも、筆者が試乗した際は「いくらかマシ」くらいのフィーリングでしたけど(笑)。むしろ、それまでのケーブル操作からロッド操作に変わったカッチリ感のほうが印象に残っています。

 そして、キープコンセプトといってもいいスタイリングは、全面的にピニンファリーナに任された最後のフェラーリといわれています。チーフスタイリストのひとりだったマウリツィオ・コルビは、F355のほかにミトス、F50、550マラネロを担当しています。

 348では顕著だったテスタロッサのモチーフを継承することなく、楕円系のフロントグリルや、ディーノ206/246のリヤウィンドウ(フライングバック、トンネルウィンドウなどと呼ばれる独特の形状)などの伝統的スタイルをアップデート。数あるピニン作品のなかでも、トップクラスの人気、出来栄えといえるのではないでしょうか。

 そして、フェラーリ初のセミオートマティックミッション「F1マチック」も大きなトピックです。独立企業時代(フェラーリの電装を一手に引き受けていた頃)のマニェッティ・マレリがプログラムしたパドル方式のシステムで、オートマの概念を打ち破る出来栄えだったかと。

 もちろん、ダブルクラッチやブリッピングといった機能はついていなかったものの、2ペダルでフェラーリを操る楽しさは新鮮、かつ格別の面白さがありました。

 なお、1997年には日本でのディストリビューター、コーンズとフェラーリのパートナーシップ20周年を祝った限定車「コーンズ・スペシャル・エディション」が発売されました。ボディカラーが特別、くらいかと思いきや、のちに限定発売された「フィオラノ・パッケージ」にほど近いとかで、足まわりやカーボン製インパネなどかなりのスペシャルだったという証言もあります。

 このほか、F355はワンメイクレース「F355チャレンジ」が世界各国で開催されたほか、FIA GT選手権やJGTCにもエントリーするなど、モータースポーツと直結したイメージも販売面で有利に働いたはず。

 実際、販売台数もバカ売れといっていいほどで、ベルリネッタ4871台、GTS2577台、スパイダー3717台、そしてチャレンジが108台と、合計すれば1万1273台という(フェラーリとしては)メガヒットを記録(諸説あります)。

 また、F355の人気があと押ししたのか、発売した1994年はベルガー、1995年はアレジ、そして販売終了する1999年までにはシューマッハ&アーバインがF1で優勝しており、スクーデリア黄金期のイントロとなったことも忘れられません。いい時代のいいフェラーリ、F355はまさにそんなモデルに違いありません。


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石橋 寛 ISHIBASHI HIROSHI

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