さよならEJ20! 名エンジンとともにSUPER GTを戦った井口・山内の両ドライバーが思い出を振り返る! (1/3ページ)

この記事をまとめると

■長年活躍を続けたEJ20エンジンがモータースポーツの舞台から引退する

■GT300で長年戦い続けた井口・山内コンビが相棒との記憶を振り返る

■最小排気量・高過給ゆえの難しさと壊れる覚悟が強さを生んだ

長年にわたりモータースポーツで戦い続けた名機の終章

 スーパーGTのなかで最小排気量エンジンとして奮闘してきたスバルEJ20エンジン。

 1989年に登場したレガシィRSによるFIA 10万km世界速度記録達成、WRC、スーパーGT、ニュルブルクリンク24時間レースと、36年に渡ってスバルのモータースポーツを支えてきた。

 そんな歴史あるエンジンではあるが、市販車への搭載はすでに終了しており、スーパーGTマシンの搭載が、EJ20エンジンの最後の活躍の場となっていた。ライバルたちの大排気量・高出力へ対抗するため、パワーアップはもちろん、重箱の隅をつつくような細かいアップデートを行うなどして、時にライバルを凌駕するパフォーマンスを見せてくれたのだ。

 しかし、2025年EJ20エンジンを今年で終了するとスバル/STIが発表。36年に渡るモータースポーツでの活躍に幕を下ろすことになった。

 スーパーGTの前身であるJGTC全日本GT選手権に、1997年からキャロッセがインプレッサを投入した。この車両にもEJ20が搭載されている。このときはキャロッセ独自の参戦のため、STIとしては技術支援程度のかかわりだったという。

 その後、スバルがスーパーGTに本格参戦したのは2009年のレガシィB4から。AWDのレガシィB4で参戦を開始し、その後FR化。そして2012年にBRZにマシンチェンジを行い現在に繋がっている。

 WRC時代などの輝かしい歴史も多くあるが、今回はスーパーGTに絞り、現役ドライバーである井口卓人、山内英輝選手に、EJ20エンジンについて振り返ってもらった。

 2014年の第5戦鈴鹿1000kmで第3ドライバーとして登場した井口、BRZ初の優勝もこの鈴鹿1000kmという輝かしいタイミングでの加入となった。翌2015年には山内もチームに加わり、そこから10年コンビを組み続けている。

──スバルチームに参加する前に、外部からスバルを見ていたときはどのように感じましたか?

井口「そのときって(佐々木)孝太さんがポールを取りまくっていた時代で、とにかくGT300のなかでは速かった。BRZが一番速いという印象でした。自分もあれに乗ってみたいという思いはありました」

山内「あまり意識はしていませんでしたが、青い軍団が居るなとは思っていました(笑)。いまは青い軍団が頼もしい存在ですけど、あまり意識はしていなかったかもしれませんが、チームに入れたときはうれしかったです。卓ちゃんの推薦でチームに入れたのでそこもうれしかったですね」

 (井口選手は自らのシートを得るためSTIに直談判してシートを獲得したのは有名な話。そして井口と組むドライバーを探していたチームは、井口に誰かいないか? と相談しており、そのときに山内選手を推薦したという経緯がある)

──水平対向エンジンに最初に乗った時はどんな印象でしたか?

井口「エンジンもあったかもしれませんが、マシン全体のパッケージとして鈴鹿で初めて乗ったときは、ツーリングカーに乗っているというより、フォーミュラに乗っているような感覚でした。その前に乗っていたマシンよりすごく乗りやすかったですね」

山内「その当時、いろいろなマシンに乗っていましたが、最初にスバルのマシンに乗ったときは面白かったですね。軽いので動きが軽快でした。大袈裟ないい方になってしまうかもしれませんが、カートに乗っているような感覚ですごい面白かったです」

──EJ20エンジンのストロングポイントとウィークポイントがあれば教えてください

井口「小排気量でターボに高過給をかけて走っているところがすごいことですし、ライバルが大排気量になっていて、ベースのエンジンとして考えれば相当の排気量差があるなかで戦えていますし、いまの時代でも現役で戦えているのはストロングポイントになると思います」

山内「やっぱり愛されているところがストロングポイントですよね。こんなに愛されているエンジンはないと思います。30年以上前に設計されたエンジンがいまでも第一線で活躍しているところが凄いことです。だからこそ世界でチャンピオンとかも獲れるんだなと思います」


この記事の画像ギャラリー

新着情報