世界中のレースで大活躍した日本が誇る名機がついに勇退! エンジニアが振り返るEJ20の波瀾万丈ヒストリー (3/4ページ)

  

──開発で楽しかったことや大変だったことはありますか?

吉原「楽しいところと苦しいところが紙一重なところがあるのかなと思ったりもします。さきほどお話ししたように、壊れた事象に近づけるようなシミュレーションを達成するまでは苦労する部分もありますが、そこをクリアすると対策が容易になっていくので、そこは楽しいと思います。コンロッドもここに力が加わるだろ、そうしたら応力分散はこうしたら良いのではないのかと、じつは7パターンくらい作ったこともあります。機械の気持ちになる、相手の気持ちになるということが大事ですね。それと自分達は設計しかできない。図面は引けますけど、実際のパーツを作ってくれる協力会社さんのおかげで作り上げているところもあるので、感謝しかないです」

長田「レガシィB4があったからこそ今に続いていて頑張ってよかったなと思っています。じつあのとき、半年でクルマを作り上げなくてはならない状態だったのです。シーズンオフに、キャロッセさんのインプレッサが出場しないとなって、次の春にレガシィB4のシェイクダウンを行い、夏の鈴鹿にデビューさせるということになりました。車体はR&Dスポーツさんにお願いして作ってもらい、エンジンは潤滑系の見直しを行いレイアウトを刷新。さらにAWDでなんとかデビューにこぎつけたなと思うと、苦しいことは多くありましたがデビューできて嬉しかったですね」

長田「そのあとに2012年にBRZが登場するわけですが、レガシィB4はどちらかというとアナログに作った感がありました。今のようないろいろな解析などができていない時代でしたので。しかしBRZはクルマのデザインもそうですし、搭載レイアウトもしっかり3Dで検討を行ったので、今に繋がるマシンになっていたと思います。レガシィB4からBRZになるときにエンジン搭載位置やまわりの配管などもガラッと変えました。さらにレガシィB4はAWDからスタートしてFR化して、途中でトランスアクスル化してと、数年で何回もトライアンドエラーを行い仕様変更をしていました。最後の方である程度固まったからこそBRZにうまく繋がったのかなと思います。2012年にBRZにチェンジしたけれど、それから今までエンジンまわりについて大きくレイアウト変更をしていません。最初に良く作り上げることができたからこそ今に繋がっています。インタークーラーなどの配置も、空力の解析を行ってもそれほど問題は無い仕様になっています。レガシィB4のときにいろいろ問題があったからこそ、BRZを作るときにいろいろ考えましたね」

小澤「誰もやったことのないことを掘り起こして技術開発するというのは、やっぱり楽しいですよ。WRC時代も水噴射を採用してみたり、エキマニやインマニのデザインを直したり、こうすればもっと出力がでるだろうと思って作ってみたり。1馬力のためにタービンやパイピングのレイアウトも見直してオリジナルを製作していましたね。タービンも空気のスクロールのさせ方や、リブの入れ方など、かっこよさと性能の良さを併せ持つものを開発していました。空気が流れて行くところを自分が空気になったつもりで考えてみると、『この角度で空気が綺麗に流れると思うか?』と、流れるものの気持ちになって考えてみる。なんてこともありましたね。インタークーラーへの空気の分配方法もこんな分配方法で良いのかなども考えてみる。いまはシミュレーションで解析できるけど、昔は頭で考えていました。しかし、今解析してみてもシミュレーションと大体同じになることも多いですね。当時、スバルでコンペティションがあって、小澤デザインとかを出して勝ち続けるとかめちゃくちゃ楽しかったですよ。それを設計の長田さんに投げて、長田さんが苦労して作り上げるとか今思うと楽しかったです」

小澤「一番苦しかったのはそれこそレガシィB4のときに、夏の鈴鹿の前に延々とクルマ作りをしていて、いざ走らせたらクルマが燃えちゃってね。徹夜で直してとりあえずグリッドに並べるだけ並べてというのがありました。本来なら、エンジンエンジニアなんでやらないことなんですけど、車体のハーネスとかも全部手作りでやりましたね。でもそういうのがいい勉強になって物作りできるようになりましたね。今は分業とかもそうですし、徹夜作業とかはできない時代ですけどね」

──36年の長い歴史のなかで思い出深いところを教えてださい

小澤「一番辛い思い出で残っているのが2005年のWRCのラリージャパンですね。ペターがもう勝ちに手がかかっているのに、岩を抱いてリタイアしたときは、担当エンジニアでチーム内にいましたし、こんな衝撃的なレースってあるんだと思いました。それ以上だと、今年2025年のスーパーGT第2戦富士の最終ラップで止まったこと。あと半周でゴールというところでエンジンが壊れてしまうというのが、もうショックでしばらく立ち直れなかったです。ペターのときを超えた衝撃でした。これはもう一生忘れられないだろうなと思います」

長田「ラリーのときに最終SSでリタイアというもあり、辛いこともありましたけど、やはりこの前の富士の最終ラップで壊れたのはショックでした。そのときは現場にはいなくて、現場の人間は大変だろうなと思いましたね」

吉原「2021年の最終戦はチームに帯同していたので、間近でチャンピオンを獲得できたのを見られたのはすごく印象に残っていますね。ちょうど私が、シェイクダウンから、エンジンを何機組んで、このレースではこのエンジンを使ってというスケジューリングを組み始めいたときでした。パーツによって寿命も各々違うため、距離などで管理するのもありますので、順繰りにエンジンを使い分けていく必要があって、そのスケジューリングをしていた頃でしたのでより印象に残っています」

──近年ハイパワー化が進んでいますが

小澤「自分がSTIをやめた2015年からは少しわからないですけど、2021年に監督になりましたがそこからもエンジン出力ってどんどん上がっているんですよね、FIA GT3がどんどん速くなるし、それにあわせて速くしていかなくてはならない、BoPで重たくなりながらも速さも併せ持っていないといけない。それだともうEJ20は限界だなと思っていました。量産ベースのエンジンという枠組みを取っ払って、スペシャルエンジンを作り上げることもできますし、限界点ももう少し上にいくかもしれないですけど、そこまでやるメリットはあるのかという話しになっていきますね」

──長年やっているなかでドライバーからの要求はありますか?

小澤「パワーがあればあっただけ欲しいでしょうけど、それよりもコントロール性を重視する方が多いですね。2020年にSTIに戻ってきたとき、アンチラグのコントロール性があまりよくない状態だったのですが、そこを手直してしていって、ドライバーに乗ってもらったら、『最終的には1mm踏み込んだときの反応が欲しい』と言われて、そこを調整したらだいぶよくなりましたね。また、何機もエンジンを組んでいて、設計は同じですし装着されているパーツも同じなんですけど、組み合わせとかでちょっとしたフリクションとか個体差が積み上がって、『このエンジンはよくない』というのが、ドライバーからしたらあるようですね。ベンチでまわす分には同じ性能が出ているんですけどね」


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