フィアットに拒否られたフェラーリ幻のセダン! もしも発売されていたら……を想像したくなる「ピニン」とは (2/2ページ)

市販はされずも走行できる状態で現存

 エンツォの承諾を得たピニンファリーナはさっそくそのデザインをスタートさせると、当初からの計画どおり1980年にその4ドアサルーンを披露する。それに掲げられていた車名は「ピニン」だった。

 ピニンのデザインチームを率いることになったのは、かのレオナルド・フィオラバンティだった。彼が描いたボディーはきわめて斬新なシルエットで、AピラーとBピラーをブラックにペイントしてワイドなCピラーの存在を強調。クーペボディーのそれにも似たイメージを演出しているのが大きな特徴だ。

 ボンネットラインは低くスムースに流れるが、それが実現された理由はエンジンルームのなかにあった。ピニンには上下方向にコンパクトなサイズをもつ、当時フェラーリが「512BB」に搭載していた180度V型12気筒エンジンのモックアップが収められていたのだ。キャビンもフィアット131とは比較にならないほどに高級な仕上がりで、エンツォはそれを生産化しようと考えるものの、結局その計画はフィアットによって拒否される。

 1980年代中盤までピニンファリーナによって保管されていたピニンは、その後レーシングドライバー、あるいはチームオーナーとしても活躍したジャック・スワタースが経営する、ベルギーのガレージ・フランコルシャンへと売却される。さらに2008年にはオークションで新たなオーナーに落札されると、彼はそれを走行可能なモデルとすることを、かつてフェラーリのチーフエンジニアだったマウロ・フォルギエリが率いるオーラル・エンジニアリング社にリクエスト。約1年半の開発と製作の期間を経たあとに、ピニンは2010年に初走行する姿を披露したのだった。

 搭載エンジンはもちろん512BBの180度V型12気筒。それに「400GT」用の5速MTとデファレンシャルを組み合わせるというのがパワートレインの概要となる。

 はたして1980年代に、このピニンがプロダクションモデルとなっていたら、それにはカスタマーからどのような評価が下されただろうか。もちろんその誕生をもっとも喜んだのは、ほかならぬエンツォであることは確かなはずだ。


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山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

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