日本人34年ぶりの快挙はどうやって達成された? 勝田貴元が語るWRC初優勝のウラ側 (2/3ページ)

これが最初の勝利であって最後の勝利ではない

──初日、デイ2、デイ3とトラブルがあったんですけど、勝田選手の強い走りを見ることができました。これまで速い走りを何度か見せていただいたんですが、この強い走りができるようになったきっかけは?

勝田選手:サファリ・ラリー・ケニアで過去に3回表彰台に乗っているので、2026年も表彰台はもちろん優勝を狙っていくという思いで戦っていました。ただ、サファリ・ラリー・ケニアはタフなコンディションで、クルマにトラブルが頻繁に起こります。そのため、ラリー・スウェーデンのように全コーナーを限界で走って、そこで0.1秒を削っていくっていうアプローチではなく、1週間を長く見たアプローチの仕方というか、スピードを犠牲にしても大きなパンクなどのロスをなくそうと考えていました。そういったサファリラリーだからこその1週間を見越した上での戦いができたことが、結果にもつながったのかなというふうに思います。

──優勝直後のインタビューで勝田選手は「これが最初の勝利であって、最後の勝利ではない」ということをおっしゃってましたが、WRCで勝つコツを掴みましたか?

勝田選手:いつも“紙一重”の勝負をしているんですけど、これまではどうしても初優勝が欲しくて、行きすぎた瞬間にミスをして、クラッシュにつながっていましたが、今回、優勝したことでアプローチの仕方が変わってきました。オジエ選手(セバスチャン・オジエ選手)もカッレ(カッレ・ロバンペラ選手)もエルフィン(エルフィン・エバンス選手)も“1回勝てば変わる”といっていたんですけど、それが少しだけわかるような気がします。ずっと重かったものが、少し軽くなったというか、心にすごい余裕がもてるようになりました。いままで行きすぎていたところでも、1回勝つと“あとで行こう”と思えるようになりましたので、そこは変わってきたと思います。

──勝負のポイントになった土曜日の午前中の最後のSS13で、結果的には勝田選手以外のドライバーがすべて大きなトラブルに見舞われていたんですが、どのようなアプローチで挑まれたんでしょうか?

勝田選手:このSS13に関しては、毎年使っているルートを切って繋げているようなルートなんですけど、2025年はこのステージでトップタイムを出していたので、自信はありました。それでもコンディションが荒れていたし、すでにダブルパンクチャーしてしまっていたので、パンクのリスクだけを考えて、極限まで落として、なんとか生き延びていかないといけない、30秒ロスしてもいいからステージを走り切ろうっていうようなアプローチだったので、そこまでプレッシャーがあるような状況ではありませんでした。うまく対応できたことにより、トップに立つことができたので、ひとつのきっかけというか、いい流れになったかなと思います。

──トップに立たれて1分20秒という大きなリードで残り1日半を戦うという状況になりました。かつてのチームメイトであるカッレ・ロバペラ選手は「自分がトップを走っているよりも緊張した」とメッセージされていましたが、本人の心境としては?

勝田選手:やっぱりこのラリーで一番難しいのはパンクのリスクです。何かに当たらなくても思いかけないところでパンクしたことが過去にあるので、そこは少し神経質になっていました。ただ貯金があったので、それを切り崩しながら コントロールしていければいいかなと思っていたので、そこは対応できたかなと思っています。

──ラリーのフィニッシュ後にかつてのチームメイトであるオイット・タナックさんへの感謝を述べられていました。「自分よりも早く起きてアドバイスをくれた」といわれていましたが、ステージごとにメッセージをくれていたんですか?

勝田選手:2026年はずっとですね。モンテカルロからラリー前、ラリー中、ステージの間、1日が終わってから、そしてラリー後もチャットと電話で話をしながら、いつもアドバイスをもらっていました。今回に関してはコンディションが難しいので、オイットさんはオールライブでほかのドライバーの状況を見ながら、“このコーナーがちょっと危ない”とか“泥が出てる”、“岩が出てる”っていうのをできる範囲で教えてくれました。オイットさんは自身も去年までフル参戦していて、実際にステージで何が起きてるのかを一番わかってる人なので、“いまはこうしたほうがいいと思う”など、一歩引いたところからの見た目でアドバイスをしてくれていました。僕よりも本当に早く起きていて“コンディションはどんな感じ?”とか聞いてくれていたし、もともとトヨタにいた選手でチームの人も知っているので、そこから情報を集めてくれたりといろんな意味で支えになってくれました。ラリーが終わったあとに電話をしたらオイットさんも喜んでくれました。結果で返せてよかったなと思っています。

──去年のラリージャパンや今年のスウェーデンなど悔しいラリーが続いていて、とくに昨年のサファリは涙を流すような悔しいラリーだったと思うんですけど、この勝利で悔しさは晴れましたか?

勝田選手:昨年のラリー・ジャパンはコントロール下に置いていたと思っていたなかでの優勝争いからの脱落だったので、あの悔しさはいまでもまだ忘れられていませんが、いままでずっと背負ってたもの、プレッシャーみたいなのを背負っていたので軽い感じはしますね。これから違ったアプローチで、広い視野で戦えるんじゃないかなってすごく楽しみですね。

──改めて総合優勝を獲得した時はどんな気もちでしたか?

勝田選手:いままで味わったことのない感覚ですね。最終ステージは10kmという短いステージでしたけど、シャープな岩がゴロゴロ転がっていて、どこでパンクしてもおかしくないので、フィニッシュした瞬間はやっと終わったという気もちと、あとはチームのみんなが無線で喜びの声を伝えてくれたので、僕はそれがまずうれしかった。いろんなことがあって、いろんな思いがこみ上げてきたので、ひとことではいい表せないです。たくさんの人にサポートしてもらってここまで来ることができたので、みんなに感謝しています。

──優勝した際に、お子さまたちに伝えた言葉が非常に印象に残っているんですけど、思い描いていた優勝の瞬間とギャップはありましたか?

勝田選手: これはプライベートな話なんですけど、家に帰ってきたときに子どもたちが“パパ何番だった?”て無邪気に聞いてくるんですね。本人たちもライブを見ているんで結果は知ってはいるんですけど、やっぱり聞きたいから聞いてくるんですが、早く一番だったよって伝えたかった。英語だと息子のほうがまだ伝わらないなと思ったんで日本語で伝えました。ギャップでいうと無意識に背負っていたものがあったので、気もち的にも軽くなった部分はありますね。あとはオリンピックの選手が、2位と1位の差、表彰台の高さでいうと20センチもないぐらいですけど、高さが違うって聞いたことがあったんですけど、実際に立ってみると、自分よりも高いところに立ってる人がいないっていうのを、彰式のときに国家が流れて、“君が代”を聞いているときにふと思ってグッときました。


この記事の画像ギャラリー

廣本 泉 HIROMOTO IZUMI

JMS(日本モータースポーツ記者会)会員

愛車
スバル・フォレスター
趣味
登山
好きな有名人
石田ゆり子

新着情報